可能性が連続する人生

毎日暑い日が続きますが、みなさん熱中症などにかからず元気でやってますか?

いつもとりとめのないことを書き留めている本ブログですが、今日もつらつらと言いたいことを書いてみます。これが自分の健康の秘訣かな、と思うこともあります。いつもお付き合いくださりありがとうございます。

やりたいこと。
やりたくないこと。
うまくいくこと。
うまくいかないこと。
流れに身を任すこと。
流れに逆らうこと。など、

いろんな状態や転機などが訪れるのが人生でしょうか。

人生って、「こと」です。
ことはへそ思考で見つめることができます。

・あなたの大切な「こころ」
・あなたが経験する「出来事」
・あなたを取り巻く「仕組み」

この3つの領域があなたの人生をかたちづくっています。
これらを自覚的に見つめるかどうかによって、充実させることができると考えています。

これが「ことづくり生活」です。

さて、冒頭の内容は全て「こころ」が起点です。
あなたがどうしたいのか、が始まりです。つまりは気持ちのもちかたで変化は導けるということですね。

でも、いくら頑張っても何も変わらないと感じることが非常に多いのも人生です。
でも、可能性がないわけではありませんから、どうすれば変化を生み出すことができるか、その辺りを悩んでいる方も多いのではないでしょうか。

第一は今の自分を受け入れること。
素直に向き合い、感じ取ることです。自分の外にあることは受け止めること。
これが一番難しいと言われる方もいらっしゃいます。でも、自分と向き合わずに良いとこ取りができると本気で考えているのかなと、私などは思うのです。

次には、可能性や方向性などを見出し、引き出す工夫や努力を重ね、高める継続した取り組みの中で、結果を探り、至る全ての過程を見守る姿勢。

この一連のプロセスを「ことづくりの姿勢」と呼んでいますが、これは関係性と可能性の連続体です。

質や量などの性質と、外圧や内圧などの度合いとの組み合わせいった表現もできそうです。

別の表現を用いれば、終わりのない物語。私の若い頃にネバーエンディングストーリーという映画がありましたが、正にその通りだと思うのです。

サーフィンでは、ビッグウェーブの到来を楽しみに待つそうです。その波を乗りこなすために日々精進するとか。
一方で平坦で変化のないことを求めることだってあるでしょう。朝から晩まで、全てにおいてビッグウェーブがあると、たまったもんじゃありませんし。

ことづくりの姿勢は、人生において日々生まれる可能性を乗りこなすための態度です。
あなたの内にある言葉にならない感覚と向き合い、言葉に置き換えるためのひとつのツールです。

可能性には0〜100%までの広範囲な幅がありますが、自分自身が諦めない限りどの位置であっても、見方考え方などの「解釈」で乗りこなすことは可能です。

おや、またしても「解釈」が登場しました。

解釈とは、見方・考え方・感じ方のことです。何をどのように解釈するか。全ては、あなた自身の心掛け次第ということですね。

香川には、日本昔話に登場するような小さなおにぎりのような山と小さなため池が多く点在しています。
私はそんな景色が大好きです。

人生においても、ところどころに適度な変化がある程度がちょうど良いと思うのですが、さてみなさんはどうお感じでしょうか。

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自産自消のお店・畦や

ことづくり生活を広く伝えるひとつの方法として、自産自消の取り組みを計画しています。

探してみると同じ取り組みのお店は結構たくさんあるようで、いろんなところへ訪問しては勉強させていただいております。

今回は林町にある「畦や」。

ランチで出される野菜たちは自前のファームで生産しているそうです。

テイクアウトもできますが、屋根裏部屋の食事スペースで食べることにしました。

パッケージなどもよく考えていて、自分たちのアイデアがまだまだ煮詰められていないなぁと反省することしきりでした。

県立図書館から北へ、ちょっと路地を入り込んだ場所ですが、隠れ家的な雰囲気もあって素敵でした。

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解釈の共存

事実と根拠と解釈となどで取り上げている解釈についての話はとても大切なので、まだ続きます。

さて、今更ですが、デジタル大辞泉によると、

1 言葉や文章の意味・内容を解きほぐして明らかにすること。また、その説明。
「徒然草を解釈する」「英文解釈」
2 物事や人の言動などについて、自分なりに考え理解すること。
「善意に解釈する」
とあります。

◯「白さ」を例にして
先日は白は解釈によって受け入れたり、跳ね返したりするとお話しました。

前回の「白さ」の例示は2つでした。モノゴトにはいろんな解釈があって良いのだと思いますが、人は2つあればどちらかに決めたがる傾向もあります。ですからひとつ増やしてみましょう。

「白さ」は何にでも染まるという意味と、全てを跳ね返すという意味がある話をしましたが、他にはこんな見方もあります。

光には加算混合という「仕組み」があります。赤・緑・青という3原色があり、その3つが同じ強さの光で混ざり合うことで白い色となります。
つまりは少しでも欠ける部分があると白にはならないという捉え方もできるのです。
これは関係性へとつながる解釈ですね。

こうした様々な解釈が、暗喩(メタファー)と呼ばれる例え話を生みます。
例え話は、同じ意味をもたせて難しい話をわかりやすくするために使いますが、話が上手な方はこの例え話がとても上手ですよね。私なんかはあんまり上手ではありませんので、そういう方のお話を伺うと見習いたいなぁと思うことがあります。

◯絶対のない物語
これは「物語のかたち」をつくる力にもつながっていきます。空想や理念などから、どんな受け取り方があるかを考え、本質を外さずにわかりやすく噛み砕いた道筋を考えることです。

普段からの心がけとして、いろんな解釈を未来志向で楽しみましょう。

「白さ」の例であれば、この場面のこの時はこの解釈が似合うよねとか、今の場合はどんな解釈が適当かなとか、『時と場合によって解釈の変更を楽しむ姿勢』です。

ネガティブ思考の方には、とても大切な姿勢だと思われます。

解釈には、普遍や真理という言葉は似合いません。そもそも解釈では、普遍や真理とは何か、という問いが存在するからです。その問いに対する答えに、理解に向けた解釈が大きく関わっています。

それは「絶対のない物語」とも言える、変幻自在なストーリーが生まれる関係性です。
(※絶対は身にまとえるか)

ひとつの事実があり、その根拠の見つめ方によって解釈が違えば、そこには違った意味が生まれます。

「白くなる」という事実に「光の三原色が合わさるから」という根拠があっても、混ざるのか、重なるのか、新しい波長が生まれるのか、どのような解釈(そして意味づけ)をするかによって、価値づける方向が変わります。

このように、たったひとつの「白い」にだって解釈の仕方で多くの意味や価値が生まれるのですから、言葉の選択や使い方の難しさを痛感します。

だからこそ解釈の共存が必要です。それは、自分の中にも必要ですし、相手との間にも必要です。
そして重要なのはお互いに違いを自覚し認め合った上でのすり合わせだと考えます。
それが共通項探しです。

ほら。これまでのたくさんの話がいろんなところがつながっていると感じませんか?

ですから私なんかは、国会中継などでファクトだエビデンスだとかの論戦をみていると、もっとお互いに解釈(インタプリタ)の違いを出し合って、その先をどのようにすり合わせるかを議論すれば良いのになぁと思ってしまうのです。

みなさんはどうお感じでしょうか。

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作用と対象のとらえ方

今回は以前お話しした事実と根拠と解釈とことづくりの作用とはなどの記事に続くお話です。

何事もそうですが、理解には「解釈」が欠かせません。今回も解釈についてのひとつの見方です。

・作用は「事実 ← 根拠や解釈」

デジタル大辞泉によれば、作用とは「他のものに力を及ぼして影響を与えること。また、その働き。」とあります。これは「その環境がもたらす状況(事態)」と言えます。

状況を指し示すのですから、作用とは事実(ファクト:へそ思考で見つめると、ひとつの出来事)を述べているだけと考えられます。

ここに根拠(エビデンス:へそ思考では、ひとつの仕組み)や解釈を求めると、作用である事実が「対象」化します。これは、その事実に関わる意味や価値を求める動きだからです。そして改めて事実に向かう(戻る)動きこそがコト思考につながっていきます。

これらを分析的に判断するには、過去・現在・未来といった時間軸の中で考える必要があります。
ある瞬間とその前後です。
時間軸でみつめると、一瞬で切り替わることもありますし、じわじわ変わって変化に気づかないこともありますし、忘れた頃に一気にドカンと変革が訪れることだってあるでしょう。

このように、コトには何らかの順序があることがわかり、その前後を意識できるようになります。

出来事のとらえ方は様々ですが、例えば氷は零度よりも暖かくなれば(事態(状況の変化))溶解(事実)し、溶ければ(事態(状況の変化))液体化(事実)するような一連の関連性で見つめると、『作用とは対象がもつ「仕組み」が生み出した事実』とも言えそうですね。

・対象は「解釈や根拠←事実」

デジタル大辞泉によると、対象とは

1 行為の目標となるもの。めあて。「幼児を対象とする絵本」「調査の対象」
2 哲学で、主観・意識に対してあり、その認識や意志などの作用が向けられるもの。

とあります。
作用(事実)は、私たちが見つめた瞬間に「出来事」化します。出来事には、ほぼ必ず「根拠(仕組み)」が伴います。そして、それらを解釈する人の「こころ」があります。

事実とは状況なのですから、ぐっと広く捉えれば実際に起こったかどうかは関係なく、起承転結のような流れの中で現われるひとつの出来事です。

ですから「天変地異が起きて弥勒菩薩が現れる」のような既に予約された事態(物語)には現実感がありませんが、仏教としての「根拠(仕組み)」にはちゃんと根ざしています。そしてそこには弥勒菩薩がもたらす「機能」なども内包していることでしょう。

このような対象には、その理解のために根拠と解釈が付与されていきます。つまり、意味づけや価値づけです。

例えば、氷が溶けるのは融点温度という『根拠(仕組み)』によって起きます。分子レベルでの機能の効果もあって、体積は少し増えるようですね。

そして『解釈(こころ)』です。前回は「白い」に対する解釈で意味が変わることをお示ししました。今回の「時間」に関しても、時間とは一瞬の繰り返しか、積み重ねかなどの捉え方でも意味が変わります。

解釈とは、『対象を理解する意思をもった者の態度』です。どんな態度をとるかによって、その者の先に続く作用も変わります。

このようにコトを見つめていくと、作用と対象は態度を媒介にして常に動き続けていて立ち止まる事を知らないかのようにめまぐるしく変容し続けることがわかります。

私たちはその一瞬を切り取って、あれこれ議論することはできますが、実際の生活では常に時間が流れ続けている以上、変化し続けることから逃れることは困難です。

それは好転もするし、暗転もするということを意味します。良い時もあれば、苦労する時もあるということですね。

これは、虚飾や虚構などで身の周りを固めたところで虚しさからは逃れられないことにもつながっていきます。

まずはありのままの自分と向き合うこと。自分を受け入れること。自分と周りの自体をしっかり受け止めること。
そう。これはことづくりの基本姿勢ですね。

ですから、上記の「基本姿勢」はどうしてもはずしたくない心がけとなるのです。

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モノ思考とコト思考2

モノ思考からの続きです。

誤解があるといけませんが、どちらが良くてどちらが良くない、ということではありません。
また,これは「思考」ですから、認知か非認知かと言うなら、認知領域とお考えください。
そして両方を行き来する関わり方を楽しむ姿勢を大切にして欲しいと考えています。

◯コト思考
具体的な「こと」を考えたり実行したりするのは「出来事」に対して主体的な想いを抱いて「何か」に関わることです。

出来事だけに着目するのはモノ思考の領域ですが、コト思考では更にその周辺の関係性を見つめます。

さて、一定のルールに基づいて計画し、進めるためには欠かせない「仕組み」もあります。
そこには、出来事を起こすための根拠や解釈が必須です。
それらから考えるための気づきやきっかけを得たり、基本や前提にしたり、関係性を見つめて念入りに調整したりします。

ところが、ひとたびそのプラン実行が始まると、それはただひたすら目的に向かうといった「対象化された状態」となりますから「◯◯をする」こと自体が目的化・固定化してしまいます。
ことづくりでは、技術者がプログラミングを終えて、パソコンが組み立てられた手順を実行している状態などはコト思考と呼べないと考えています。

そのプロセス上において「作用」を見つめる態度があれば、そこに「コト思考」が生まれます。

コト思考は、主体的(自身の意思表示)・能動的(周囲への働きかけ)な想いを見つめ続ける状態の中で起こります。
自身や周囲に対して、自覚的にモノやコトの変容を呼び込む姿勢を維持し続ける態度とも言えそうです。

また、没頭すると言った無心になってのめり込む状態はコトのひとつですが、コト思考と呼ぶには足りない部分があります。
純粋意識とも呼ばれる無意識状態での行為行動は、意識という蚊帳の外でひたすらに作用を起こし続けるコトにあるからです。
これはその行為中に解釈や根拠などが必要な行動ではありません。

このような、非認知に関わることはまたの機会に触れますね。

動的な、不確定な、ゆらぎの要素があって、コト思考になります。

少々面倒臭い態度に感じられますが、それでもつかもうとする態度から何かしらの変化を生むか、次のきっかけにつなげるか、関わり方を見つめるか、同時進行する何かがあるのかなどの周囲の関係性とその先(これからの過程など)を考える必要があるのです。

つまり現状から未来志向につなげる方向を見つめることが、より深く自分と周囲のモノやコトなどを見つめている「コト思考」だと考えるのです。

もうひとつ例示してみましょう。

暑い時に扇風機をつけること。
これは行為としての「コト」ですが、これだけを取り上げてもコト思考をしているとは言えません。

行動をへそ思考で分析すれば、そこには少なくとも暑さの解消のための一つの「仕組み」として「出来事」を創出したいという「想い」があります。

一般的な観点で言えば、いわゆる目的ではなく、涼しくなるための手段です。
そしてその先につながる、暑さを解消する必要や、解消することによって得られる心地よさや、活力の持続なども含めた関係性の中で、様々なベクトルが未来志向でつながり広がっていくこと。
これが、ことづくり生活における「コト思考」です。

それは、例示の扇風機をつけることでどんな作用が起こるかまでを考えているからこそ浮かぶことです。へそ思考での3領域の方向に発想を広げる関係性を見つめることが大切になってきます。

手段がトリガー(きっかけ)となり、どんな役割を果たすかなどの多岐にわたる分析的な見つめ方があって、はじめてことづくり的な「作用」に触れることができます。
知識として記憶し、それを確認しているだけでは足りないのです。

ことづくり的には、「事実に寄り添った根拠や解釈を見つめる態度」をコト思考と呼びたいと考えています。

次回は作用と対象についてのお話です。

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モノ思考とコト思考1

毎日暑いですね。畑作業も大変です。そんな暑いさなかではありますが、しばらく難しいお話が続きます。

今回のお話はへそ思考の本質につながる部分です。
(まだまだ試行錯誤の段階ですから、ひょっとして来年あたりにはもう少しグレードアップしているかも知れません。先にお詫びしておきます(*^^*))

◯モノ思考
物質的なモノと言われれば、自動車や宝飾品など具体的に製作したり購入したりできるモノだったりするので、安易に想像できますよね。

ただし、ことづくり生活で言う「モノ思考」とは、物質主義的なモノをつくったり購入したりとは限りません。もっと多くのコトを含みます。

「こと」を見つめるために哲学的な言葉を使うと「対象と作用そして態度(意識)」の3領域があります。

やる「こと(内容)」をリストアップして計画的に進める。計画を立てている状態はコト思考ですが、実行しているだけなら、ことづくり的にはモノ思考となります。
何かをやっている(かたちをつくるなど)のですから、それはモノではなく「コト」です。ですが、コト思考と呼ぶには足りない部分があります。

この違いは、ひとつのこと(ゴールにたどり着くなど)だけを考えるだけになってしまうと、そこには途中経過やそのこと自体に疑問を抱く余地がなくなり、思考停止の状況が起きるからです。

モノ思考とは、基本的には「物質的な存在」にとらわれることです。
わかりやすくいえばモノが欲しい、モノに囲まれたいというような感覚を重視する思考です。

ですが、それだけではなく対象化された物質的ではない「コト」にこだわる関わり方もあるのだろうと、ことづくりでは考えています。

例えばデートプランを考えている時はコト思考ですが、プラン通りに動こうとするのはモノ思考といった具合です。

モノ思考とは
・主たる目的は商品購入
・主たる目的は行為自体
のように、出来事の前後や表裏にある仕組みやこころを見つめない、臨機応変さや変幻自在さの薄い、馬車馬的な活動や思考であるとしています。
ですから行為に没入している状態、それ自体はコトですが、広い視点で見つめるとモノ思考のひとつと言えます。「思考」より「感覚」を重視して、行動の根拠や解釈をいちいち考えていないことからも明らかです。

こうして見つめると、ルールを重視していることや、決まりごとにきっちり枠をはめ込み、四角四面にする行為もまた、モノ思考と呼べそうです。

この、モノ思考とコト思考の境界は「こと」の見つめる先が対象か作用か、とすることもできます。

作用や対象については後日触れますが、「ただ起きるだけ」という見方もできます。その作用自体に良し悪しなどを求めるのは「人」ですし、そこへの想いから来る意味づけや価値づけですからね。

例えば、アルコールランプにライターの火を近づける(出来事)を起こすと、気化したアルコールの着火温度に達する熱量を与えられて火がつくという(仕組み)を利用しているだけです。

燃えるきっかけは与えられても、人が分子構造をいじっているわけではありません。

同じく、遺伝子構造を操作したとしても、操作の先にある反応自体には関われません。人が知り得ない、扱いきれない仕組みがそこにはあるからです。

モノ思考とは、「出来事として起こる事実やその背景にある仕組みに対して直接的、感覚的に関わる姿勢」ということもできそうです。

続きは次回へ。

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道筋・課題・時間の関わり

普段の何気ない生活にも、数多くの情報や条件、選択肢などが待ち構えています。
通常はそれほど意識して考えてはいないでしょうし、考える必要性も低いことがほとんどでしょうが、自覚的に見つめてみると、新たな気づきやきっかけを得ることもあります。

今回はそのお話です。

モノやコトには必ずといって良いほど物語が付随します。別の言い方をすれば、「筋道」があってその一瞬を切り取ることが可能です。
まずはそれがひとつめです。

◯道筋を立てること。
これは過程(プロセス)を考える上での骨格となります。一連の動きが関係性の途切れなく、確実に進みたい方向に進めていくための態度とともにやりたいことをリストアップし、計画性をもって活動する態度です。

◯課題を想定すること。
これは具体的な問題に対処できるようにすることです。想定問答集のような、課題を解決するにあたっていろんな困難が待ち構えている際に、どのように対処するかといった具体的な事案に取り組む姿勢をかたちに表す態度です。

すごろくを例にすれば、筋道とはスタートからゴールに至る道のりです。ぐるっと渦を描いたり、寄り道があったり,枝分かれしたりしても、最後はちゃんとゴールに向かう,あのコースです。
課題とはサイコロを振ったときに止まるマス目です。そこにはいろんなラッキーもありますし、難関が待ち受けていたりします。スタートに引き戻されることもあります。

一回休みなどがあっても、少なくともそのゲームからは引きずり降ろされることはありません。そこから逃れる(離脱する)ことは想定されていません。関わりを断ち切ることができないという前提に立っています。

この2つはコトを進めるにあたってとても大切な要素ですが、もうひとつあります。

それは
◯所要時間を読むこと
です。

先程のすごろくの例では、一回休みとは前に進みたいけど進ませないといった風に、プレイヤーの時間を縛っています。
どんな課題がどのくらいの時間を必要とするかを把握しておくことは、全体のプロセスを通底する重要な要素です。この世界は時間だけは逆戻り出来ませんからね。

さて、やりたいことの全体を把握するためにはどこから取り掛かっても良いのですが、
・全体の流れ
・出会う困難
・かかる時間
この3領域を自覚して、しっかり見つめること。

いくら考えておいても想定外も起きるという前提で困難に備えること。

うまくいくとき。たいていは何も考える必要がありません。
うまくいかないとき。
何を見つめているか、広い視野で俯瞰することも大切です。

今以上に、これからの事態をより具体的な視野で見つめることも大切です。その際にこの3つを見つめているかどうかを考えてみてくださいね。

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お米の販売中!

ことづくりの館を訪れてくださる方は、大家族という確率は非常に低いようです。

隠れ家的な場所ですから、おひとりや気の合う友人たちなどとのんびりまったり過ごしたい方が好まれるからでしょうか。

野菜たちも販売していますが、少量の要望も多いです。

お米も販売しているのですが、10kg単位か、30kgで販売していると、こちらも少量欲しいというご要望をいただくことがあります。

そこで、2Lのペットボトルでの販売を開始しました。

内容量は約2kgで12合近く入っています。

普段は外に出さず、安心してお買い求め頂けるように玄米貯蔵庫でちゃんと管理しています。

ご訪問の際には、どうぞお気軽にお声かけくださいね。

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ちょっとお出かけ

数日前に、ちょっと気になっていたお店に。

雰囲気を素敵でしたが、マスターと奥様も素敵でした。

成合ジョイの近く。河川敷が見渡せる場所です。

あ、トイレのレイアウトも素敵でしたよ。

隠れ場的なところがお好きな方は是非一度。

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モノは仕組みで分解される2

前回からの続きです

《全ては解釈から》
○「白い」という意味

モノとコトが分けにくいという人もいるようです。敢えて分けない人もいます。

ですが、意味とは人が付与するのであって、自然物それ自体が意味を自覚し把握して存在しているわけではありません。超越的存在(神など)を規定するならともかく、一般的にはあくまでも仕組みと出来事のあいだの相関関係で成立しているだけだと考えられます。
人は、それらを見つめて意味付け価値づけを行なっています。なぜならそれが「世界をとらえる」ひとつの方法だからです。

ことづくり的に言えば、例えば『人が「出来事」を見つめて「仕組み」を発見して、後付けしている』となります。
それを「意味生成」と表記することもできるでしょう。

例えば、白。
白いのはそのモノがもつ特徴ですがモノ自体ではありません。ただモノを理解するには必要な要素ですね。
白さとは、モノを形容する用語ですからコトになります。
(ちなみに「対象と作用」で分けようとすると違う視点が必要ですのでここでは触れません)
このように、モノとしての形態や事態に付随するかたちで「白」は捉えられることが多いですね。

その「白」はどんな色にも染まる。
といえば、色彩の混色や重色などの仕組みを意識しているとも言えます。

ところが、別の考え方もできます。

色の「仕組み」から言えば、白い光が差している条件下で、すべての光の波長を跳ね返しているから白く見えるのです。
科学的には、赤い色のバッグとはその素材が赤い色を反射し、その他の光の波長を吸収しているから赤く見えるのだそうです。
これが「白」く見える仕組みのひとつです。

つまり白は全てを受け入れない。
跳ね返す色とも言えるのです。
こうなると、先程とは違った意味が生まれます。

解釈の違いを何となくわかって頂けたでしょうか。

 

○やっぱり肝心は「解釈」

何をどう解釈するかはそれを受け止める人によって異なるということが、上の事例からも明らかです。

例えば、美術品もモノの概念から見れば素材と物理的要因の結合体です。作家はその色やかたちや素材の仕組みを用いて独自の表現をするという「出来事」を生業にしています。
観る側は、作品というモノに解釈を加えることによって、尊くなったり、ユニークになったり、感慨深くなったり、嫌いになったりするのです。

こうやって見つめていくと、人はモノに込めた「こころ」と、モノの「仕組み」をきちんと区別せずに語っている場面が意外とありそうですね。

例えば商品をつくった人の理念や、手に入れたい人の空想や、そのモノがもつ機能を同じ土俵で語ってもすれ違いが生じるのは、へそ思考の図式でも見つめられます。

こういった場合は得てして平行線な議論に終始したり、枝葉末節にこだわってしまったりして、本質から外れてしまいがちなようですね。

最近はビジネスの世界でもコトが重視されています。以前紹介した不便益も、コトの概念から生活を見つめています。

モノを仕組みから分解する。
コトから世界を捉えてみる。
考え方を整理してみる。
そして生活にゆとりと豊かさを。

そのために、へそ思考をご活用頂ければ幸いです。

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