蛙のカミサマ

イソップ寓話の「王様を欲しがったカエル」というお話をご存知でしょうか。

カエルは王様を求めて神様に直訴します。最初は棒切れを放り込まれましたが、それに満足せずいろんな要望をしたところ、サギがやってきて池のカエルたちが全て捕食されてしまうというお話です。

さて、現状に不満ばかりを爆発させて他者の責任にし、今の自分たちに何ができるかを考えて行動せずに、自分が理想とする目標に到達できるのでしょうか。

理念だけで現実とのすり合わせができないと、不満ばかりを爆発させることになって、責任転嫁する対象を見つけようとしてしまいがちです。

自分はちゃんと考えている
理解している
よく知っている
これまでも、そしてこれからもやっていく

こういった自信が先行すると、気がつけば「べき論」で身の回りがガチガチに固まっていて、ベキどころかバキバキな様子を見かけます。
もしくは恒常性バイアスという過小評価により、自分だけは大丈夫で問題なしとする傾向に囚われます。
そして他人の価値観までも、自分の価値観で縛りつけようとしてしまいがちです。

柔軟に多様性を活かすためには、多義的な見つめ方ができる姿勢が大切です。(※多義性がつなぐ多様性)

ひとつの意味だけではなく、他にはどんな意味があるんだろうと、対象となるモノゴトを見つめて、自分とは異なる価値観を受け止めること。

自分の考えを補足したり同意したりする意見ばかりに耳を傾けていると、認知バイアスの「確証バイアス」に囚われます。一方で他者を批判ばかりしていると、自分が優位に立つための一方的な意見表明が際立ってしまいがちです。

必ずしも中立でなくてはいけないなんて考える必要はありませんが、あなたにはあなたの意見があるように自分以外の人も同じくその人なりの意見があります。
どれだけ深く広く考えているかなどのレベルはまた別の問題です。

問題の解決とは簡単ではないことの方が多いのです。解決した気になることはできますが、根っこではくすぶっていたり、何かあると引き出したりすることも多いでしょう。

絡み合った糸を解きほぐすように、時間をかけて、優しく、時には厳しく、鋭く、

見つめていること。
考えていること。
感じていること。

これらが常に言葉になっているとは限りません。そうなると、言葉にする支援方法が大切なのだと見えてきます。

見つめようとすること。
考えようとすること。
感じようとすること。

これらはこれからの可能性を期待することです。
いつもの未来志向ですね。

人は理想的な、完璧な人格者であり続けることは不可能ですから、自分の内面と外の世界との関わりにおいては、何事にも未来志向を欠かさずに適度なバランス感覚が必要ということでしょうか。

「王様を欲しがったカエル」では、ついついカエルに感情移入しがちですけど、登場する神様のような見方考え方感じ方ができるような広い視野で周囲を俯瞰できるように心がけたいですね。

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PDCAと向き合う姿勢

よく、仕事や人生を語る際にPDCAサイクルの話が出て来ます。

聞いたことがあるかと思いますが、PDCAとは、プラン(計画)ードゥ(実行)ーチェック(分析)ーアクト(改善)の頭文字をとった行動様式のことです。

これをぐるぐる回して業務などの改善を進めていくと言う考え方ですが、私にはこれは心情を把握し共感し、未来志向へ導けるとは感じられないのです。

未来志向の「理念」に身を置き、全体俯瞰への「空想」を広げ、様々な「機能」を活用できているのでしょうか。

客観性を意識しすぎて主観性を忘れているような、知力があっても胆力がないような、エンジンとガソリンがあってもキャブレターがないような、つなぎ役や混ぜ合わせ役などがいないような、あるべき前提があるための必然が問われていないような、奇妙な感じを受けるのです。

現実的にはサイクル(循環)のプロセス(課程)よりもモチベーション(目的意識)の持続でしょうから、これを回すためにやる気を引き出す「仕組み」をいろいろ苦心しているようですね。

さて、それではサイクルを回すために、どんなプランを立て、どう動き、何をチェックし、次への改善を探るといった具体的な内容はどう設定すれば良いでしょうか。

多くはそこを知りたいのですが、全ての人に共通する具体例を示すのはなかなかに困難ですよね。それができていれば、今頃みんなホクホクの笑顔で充実感に満たされているでしょうから。

私の違和感は、そもそもPDCAという「機能」的な手順を決められること自体なのかも知れません。
機能は、根本的に心情に寄り添っているとは限りません。客観的事実を積み重ねて、「きっとそうだ。そうにちがいない。そうであるべきだ」のように理論を構築しているかに映るのです。

私はPDCAの専門家ではありませんが、人によっては様々な事象にPDCAを無理矢理当てはめている気がします。
単なる原因と結果の組み合わせだと、複雑な関係性までも考慮ができないのに、です。

自転車のペダルを漕ぐとギヤが回ります。
それはチェーンを回します。
チェーンは後輪を回します。
前に進むのでハンドルで操作することが必要です。
時には止まるのでブレーキが必要です。
効率よく加速するには変速機があると便利です。
夜は安全のためにライトが欠かせません。
といった具合に、単純な関係性で成立している仕組みなら、その都度のPDCAはわかりやすいでしょうが、多種多様な条件や事態などを当てはめようとしても、答えを導くことはなかなか容易ではないでしょう。

世の中には多元性・多義性・多様性をもつ様式が無数に散在しています。それを単なる行動様式でつなぐことは難しいだろうなぁというのが、私の考えです。

そんな中で、ひとつだけ言えること。
それは自身の内か外か、の区別ではないでしょうか。

内なる世界に制限はありません。自分の価値基準の範囲で好きなことを好きなように操作できます。
ところが外の世界は、自分の価値感では理解できないことも多数存在しています。
内と外との接続部分にこれを用いると、様々な人の思いが交錯してしまう事例を見かけます。その際は、共通項探しのような意見のすり合わせが必要になります。

意識的にすり合わせをすれば問題ないのですが、往往にして自分の想いを押し付けがちになります。

こんなに考えたのに。
これを試したいのに。
これが良いと思うのに。。

そうなりがちな人は、PDCAのサイクルを内なる世界に限定するのが良いでしょう。誰かと共にPDCAを動かすことは不可能です。
だって、答えは常に各個人の内にあるのですから。

また、できるならPDCAにことづくりの姿勢を組み込んで、いろんな場面を想定してみてください。

みつめて・ひきだし・たかめて・みまもる
この4つの姿勢は、心のありようを示しています。
こちらは特に順番が決まっているわけではありません。

この姿勢を心掛けて、あなたの内にある答えを探す旅に出かけてみませんか。

あなたがあなたを信じること。
未来志向で自分と周りを見つめて。

やはり「ことづくりの基本姿勢」が一番大切だと思うのです。

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三角地PJの現在

朝晩がほんの少し涼しく感じる時期がやってきました。
まだまだ日中はじりじりと暑さを感じますが、夕暮れ時のコオロギの声を聞いていると少しずつ秋に向かっているのだと実感します。

新施設の飛び地である三角地は駐車場として活用するためにプロジェクトを立ち上げて、参加してくださる方と一緒に作り上げてきました。

実施のかたちをつくる中心は友人の庭師職人ですが、アイデアを出し合って、なんとか骨格が完成しています。

もう少ししたら木が植えられて、モニュメントも設置する予定です。

どうぞお楽しみに!
(写真は庭師さんの撮影です)

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知力・体力・胆力

行動を決定する際に必要とされる能力には、よく「知力・体力・気力」が挙げられます。
「気力」は、精神力とか情熱などと呼ばれることもあるようです。
因みに、テレビ番組のウルトラクイズでは「知力、体力、時の運」だったそうですよ。

さて、これをへそ思考で見てみましょう。

例えば。知力とは理を知ることから始まるので「仕組み」に。体力とは活動をつくるのですから「出来事」に。そして気力は「こころ」に位置させます。
ここからあなたにとっての意味や価値をつくるのです。

ことづくり的には、この3つの力はとても共感します。
考えを広げたり深めたりする際には知識や技能などの「仕組み」を手に入れた「知力」は不可欠ですし、健康的で持続的な活動には「出来事」を生み出す「体力」が欠かせません。

その上で「こころ」の最も大切な態度には、「胆力」を位置づけたいと考えます。勇気という表現もあるでしょうが、それでは勇ましさが引き立ちますので、ここでは胆力という表現を使いたいと考えます。

胆力とは、覚悟のことです。
開き直ったり、決意を強くしたりして最後までやりきろうとする態度です。

気力は湧いたり尽きたりします。
胆力もそんな気力の一部なのですが、敢えて胆力を取り出すにはそれなりの意図を込めています。

デジタル大辞泉によると、以下のように表記されています。

たん‐りょく【胆力】
事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力。ものに動じない気力。きもったま。「胆力を練る」

胆力には、
・やると決めること
・決めたからには前に進むこと
・挫折しそうになっても堪えること
・どうしても行き詰まったら方向転換すること
なども含まれます。

猪突猛進に加えて臨機応変にも胆力は必要だからです。

兵法では、引き際を見極めることが最も難しいそうです。
勝ち戦では追い打ちをかけて罠にかからないように、負け戦では致命的な負けにしないように、兵力を温存しながら事後を優位に進めるためには不断の意思が必要だとのことです。

つまり現状の持続にも、現状からの方向転換にも、強い意志が必要だということなのでしょう。

全体を俯瞰しつつ、今より後もこれまで以上に未来志向的な行動ができるための覚悟。
そのためには、まずは自分を大切にすること。
やっぱりこれに尽きますね。

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「ホンモノ」のかたち

ホンモノか偽モノか。
私がこの話ですぐに思い出すのは鑑定番組でしょうか。価値の違いに雲泥の差があることでも衝撃的ですよね。

例えばこう見てみましょう。バラの花の本物とは実際のバラの木に咲く花ですが、サンタの本物になんて会えません。
なぜなら、そこにはそれぞれの思いを込めた解釈によって生み出されたかたちがあり、それぞれにホンモノだと思うからです。

ここに、モノの視点とコトの視点の違いがありそうですね。

以下は芸術の世界でよく聞く主張です。

「作品はホンモノでないと味わえないことがある」

五感を伴う鑑賞方法があることでも、この主張はわかります。
確かに筆致や陰影、絶妙な色彩や艶やかさ、作品から感じる優しい風や鬼気迫る雰囲気などはポストカードよりもホンモノだからこその味わいです。
これは音楽や演劇の鑑賞でも同じことが言えるでしょう。

「だからホンモノでなくてはならない」
はて。。本当でしょうか。

これは判断者の主観による断定的解釈です。その方の価値基準に基づきますから、そうとも言えますしそうでもないとも言えます。

目が見える人が正確にすべてを把握しているかと言えばそうではないように、本物で味わえる「こと」はあっても、本物でなければ味わえないと断定するのは難しいでしょう。

これを理解して主張する人は限度をわきまえていますが、それが作品鑑賞などの前提と思い込んだ人にはちょっと悩まされます。

この飛躍を許すと三段論法に陥ってしまうからです。
これではホテルは最高級のスイートルームのホンモノじゃないと宿泊のことを云々できないと主張する大富豪のようです。

大多数の方は偽モノよりも、ホンモノが良いと考えますから、良いと言えば反論できないことを逆手に取って自己主張しているように感じてしまうのです。
楽しみ方は人それぞれですからね。

さて、改めて「ホンモノ」を見つめてみましょう。

いつものデジタル大辞泉ですと、

1 にせものや作りものでない、本当のもの。また、本当のこと。「本物の真珠」「本物の情報」

2 見せかけでなく実質を備えていること。本格的であること。「彼の技量は本物だ」

とあります。

では、ホンモノを名乗れるのはどんな状態でしょうか。

例えば「創造者だけが権利を有する状態」と考えると、わかりやすいかもしれません。

ゴッホの絵を模写してもホンモノのゴッホの絵ではありませんが、描いた本人にとっては自分が描いた絵という意味のある、かけがえのないホンモノです。

ダイヤモンドを科学的に分析して炭素を高圧で圧縮し、分子組成を操作しても人造ダイヤモンドと呼び、自然物とは区別します。しかし、人造ダイヤモンドとしてはホンモノです。

この例では、模写や模倣といった元のあるかたちを真似た場合は元から見て偽モノとなります。でも、必ずしも固定された価値観があるわけではありません。

かたちづくりを見つめる立ち位置の違いでホンモノを真似た偽モノもホンモノと呼べる状況が生まれます。そこには「ホンモノの基準は何か」との問いがあり、捉え方は様々だということを表しています。

でもこのままでは、人を騙すことを狙う状態もホンモノです。それも変な話ですから、もう少し縛りを設けてみましょう。

そこで上記を踏まえて、ことづくり的には「あなたと未来志向のあいだに生まれるかたち」をホンモノと呼びたいと考えます。

あなた自身がこれから先を見つめながら、あなたにとってのより良いかたちを求めて試行錯誤したり一喜一憂したりする中で、関わり生まれる全てのかたちはどれもホンモノだと思うのです。

自分自身にとっての「ホンモノ」ってどこにどんなかたちであって、どう見えるのか、どう関われば良いのかなど、一度じっくり想像を広げることを楽しんでみてはいかがでしょうか。
より良い生き方を見つめるきっかけになるはずですよ。

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第28回勉強会まとめ

先月の29日に行われた勉強会の概要を、スタッフがまとめてくれました。
以下に紹介しますので、参加できなかった方も何かしらのきっかけを得ていただければ嬉しいです。

第28回まなびあい勉強会(2017年7月29日)
講師:所沢市立三ケ島中学校 校長 沼田芳行先生
主体的対話的な学びを育む三ケ島アートプロジェクトⅡ ~朝鑑賞を媒介に~

〇はじめに
沼田先生は、学校をより良く、生徒が楽しく過ごせる場所になるようにとの思いから管理職を進む道を選択されました。専門科目は社会科ですが、武蔵野美術大学の三澤教授と同僚であった経験から、美術のもつ力に着目されています。所沢市立三ケ島中学校の校長として、美術を媒介にした取り組みを紹介いただいたのが今回の勉強会の内容です(黒板ジャック、対話型芸術鑑賞教室、朝鑑賞、校内美術館など)。

〇朝鑑賞とは
 10分間の朝活動の際に、先生がファシリテーターとなり、美術作品を鑑賞する活動が朝鑑賞です。
先生からの「この絵の季節はいつかな?作者はどんな思いで描いたのかな?この絵で創作ダンスができるかな?」などの問いかけにより、対話型の鑑賞を行っています。一方向ではなく、双方向型のコミュニケーションを行うことで、当初懐疑的だった先生方も、生徒の意見を引き出す発問を工夫するなどファシリテーターとしての力を身につけたり、校内研修を積極的に行うようになったりしています。
鑑賞に正解となる答えはないとの立場から、生徒は自分なりの見方・考え方をもち、自由に発言できます。自分の意見をもつという主体的な学び、先生の問いかけや友達の意見に対して発言するという、対話的な学びにつながっています。美術作品を通して自分の頭で考える、その考えを言葉にすることで、思考力・判断力・表現力が養われます。
また、友達の意見を聞くことで、自分と同じ部分、違う部分が見えてきて、様々な考え方があることに気づきます。一人ひとりの良さを認め合い、価値に気づき、他者と摺り合わせることで、合意形成につながるそうです。

〇まとめ
 目に見える成果としては、学力が向上したり(特に国語の表現力)美術部の生徒が増えたりしています。主役はいつも生徒であり、生徒の力を引き出すことに主眼を置いている沼田先生の取り組みにより、生徒の心に、分かること・できることが楽しい、学校は楽しい場所だ、といった変化があらわれているのだと思います。美術を通して心豊かな人生の基盤を築こうとされている沼田先生の取り組みから、自分の生活に取り入れたいヒントをたくさんいただきました。

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乗用トラクター購入

8月初旬、とうとう思い切って決断しました。
乗用トラクターの購入です。

これまでは手押しの耕運機で頑張ってきましたが、新施設にある畑は500坪を超えていて、全面耕運しようとすると丸一日がかりでした。

少しずつしていたのですが、雨が降ると雑草は一気に伸びますから全く手に負えない状況が続いていました。

36度を超える日中に手押しで耕運していて、身体を壊したら元も子もないと思い、その足で農協へ。

手押し耕運機を買った場所です。
いろいろ話を聞いて、実際の機材を見せてもらって、決めました。
覚悟はしていましたが、高級なフルオプションの軽自動車を買える金額です。たじろぎそうな出費でも、身体を壊すことがなくなるなら金額には変えられません。

来週水曜に納品されるので、あと少しです。
楽しみに待っているのですが、その前に伸び過ぎた雑草をまずは草刈機で刈らないと。。

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パラレルデイリー

お盆の時期が過ぎました。

年に一度は亡くなった方や先祖の方の想いに寄り添い、自分を振り返ることであと半年をどう過ごすかを考える良いきっかけづくりにできると良いのでしょうが、現実は仕事や家族サービスなどに追われて、気疲れと共にバタバタと過ごしている方も多いですよね。

非日常とのつながりで日常を見直すきっかけを得るのは良いことだと思っています。

さて、ことづくりの館は、非日常と日常の微妙な「あいだ」を演出しようと苦心しながらつくりあげた施設です。

当初は非日常を売りにしようと考えていました。ところが、その場を日常的に仕事として利用し始めると、私にとってはそこが日常になりました。毎日、朝から晩まで同じ景色ですからね。

そして、私の作りたかったこと。それは非日常の演出だったんだろうかという問いが芽生え始めました。

その頃パラレルビジネスやパラレルキャリア、パラレルワーカーなどという名称が出始めていました。

まずは「パラレル」をデジタル大辞泉で調べましょう。

1 平行であること。また、そのさま。「パラレルな直線」「二つのストーリーがパラレルに展開する」
2 電気で、並列。
3 スキーを平行にそろえて滑る技術。
とあります。

そのパラレルを見つめると、様々な思いが平行線(噛み合わない状態)になることや同時に違う場所で同じことが起きるなども想定できます。
そこから「多元的同時進行」という意味で使われているようです。
多元的とは「物事の要素・根源がいくつもあるさま」です。

ことづくりで言う「パラレルデイリー」とは、今現在の日常とは間違いなく目の前の現実世界なのですが、別の場所にもあなたにとって大切な空間が同じ時間の中で存在していて、あなたの訪問を心待ちにしていますよとという意味を込めて使っています。

わかりやすさを求めて作った造語でしたが、今はあんまり力を入れて説明してはいません。

「ここは非日常ですね〜」
と初訪問者が感想を語られる時、
「そこをあなたの日常のひとつにしてみませんか」
という軽い話になりました。

造語を作るのは結構好きです。
きっと意味を込めるという「こと」が好きだからなんだろうなぁと自分を見つめたりして、こういう分析もまた楽しんでいます。

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場は解釈でつくられる

様々な事象には「人・モノ・場」というとらえ方もあります。

人とは、モノとは、という問いもありますが、ここでは「場とは」という問いについて考えてみましょう。
この場合、コトは媒介(つなぎ役)と考えると良いでしょう。

場のとらえ方には、大きく分けて物理的広さのある状態(仕組み)と心理的広さのある状態(こころ)があるようです。
後者のコト的な場には解釈が必須ですから、非常に広い意味が加わります。ことづくり的にはこちらが重要です。

一言で「場」と言っても、その解釈から導く意味や価値は本当に様々です。その共通項を探ると「事態間の関係性」が浮き上がってきます。

今回はこれを話題にしましょう。

◯モノ的な場
さて、高さ、幅、奥行きで表される場はユークリッド空間と呼ぶそうですが、これが最も一般的な「場」のとらえ方でしょう。
部屋や公園や競技場や、密林や富士山頂や深海などのように、屋内か野外か、広いか狭いか、人口環境か自然環境かなどの違いはありますが、五感で認識できる空間があります。
これはモノ的な場ですね。

◯コト的な場
自然の中でも弱肉強食という食物連鎖がありますが、これは事態の認識から生まれる「場」です。へそ思考的に述べると、サバンナや海底などで起こる、「出来事」が繰り広げられる「仕組み」を見つめる「こころ」が命名したかたちが存在する場です。

別の言い方をすると、つながりの状況(真夏に某野球場のかち割り売りがいる景色など)が意味づけされた場です。同じ空間には、蚊が観客の血を吸おうと肌を狙っていたり、スマホに電波が届いたりしています。

こうなると同じ空間に違った意味をもつ場が存在しうることが見えてきます。

◯場のかたち
精神病理学者の木村敏も同様のことを書いていますが、モノは同一空間にひとつしか存在できませんが、コトは複数存在できます。
つまりひとつのモノ的な場にも、複数のコト的な場が存在すると言えそうです。

例えば、物理的空間をもたない仮想空間で情報交換や議論し合うSNSなどのコミュニティは、広さを五感で認識できるモノ的な場はありませんが、意識(こころ)で認識できるコト的な場が存在しています。

物質的には、今の私がこうして肉体を置く空間はどことも交錯していません。私だけが占有しています。その上でコト的な場を認識できる「こころ」は、スポーツ観戦で友人と一体感を味わったり会議で反対意見で白熱したり、お腹をこわしてトイレを探したりなどをします。

このように、コト的な「場」とは主体となる者を中心に周囲に広がっていて、認識次第で変幻自在なようですね。

前述の電脳空間でお互いの意思が交流する状態をつくる場合は、本来は非言語情報の感情や態度も間の取り方も、言語(文字)情報を核にして行われます。

これらは「こころ」同士のつながりが生み出す場と言えそうです。

◯あいだの関係性
それでは、こころが通じ合う場のかたちとはどんな状態でしょうか。

例えば、相手が物であれば解釈するのは自分だけですが、他者が関わるとお互いの解釈が交わります。そしてその「場」には、友好的であったり攻撃的であったりの感情の場も生まれます。

通じ合うには、まずはお互いに認め合う関係性が必要でしょう。
そして受け止め合い認め合うことができた状態なら、たとえ共通項が見つかっていなくても、そこには相手を尊重する意思があるのではないでしょうか。

他にも、自身が自問自答する状態や無意識状態のような自分の「こころ」の中にも「場」はあります。

こころを認識するひとつの方法は、言葉にならない感覚的なことを意識下に置いて言葉で置換します。自分自身が意味や価値を見つめられる言語操作が、ことづくりの場に関わる方法ですが、思考停止をしていても場に身を置くことはできます。また、言葉にはならなくてもストンと心に落ちることだってあります。

そこにはモノ(物資)やコト(事態)などの、「なにか」と「なにか」といった2項以上の構成(関係性)がつくりだす「あいだ」というかたちがあります。

つまり、ことづくり生活における場とは、「関係性の状態を認識する際に解釈された意味や価値などによってつくられるかたち」と考えます。

それらの場で起きる「こと」については、またの機会にしましょう。

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夜あそびBBQ

今夜は夜あそびBBQ。

久しぶりに焼肉を食べるイベントです。

気持ち良い風の中、ノンアルコールでまったりのんびり過ごしました。

野菜たちは畑の収穫物。心地よいひとときでした。

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