作用と対象のとらえ方

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今回は以前お話しした事実と根拠と解釈とことづくりの作用とはなどの記事に続くお話です。

何事もそうですが、理解には「解釈」が欠かせません。今回も解釈についてのひとつの見方です。

・作用は「事実 ← 根拠や解釈」

デジタル大辞泉によれば、作用とは「他のものに力を及ぼして影響を与えること。また、その働き。」とあります。これは「その環境がもたらす状況(事態)」と言えます。

状況を指し示すのですから、作用とは事実(ファクト:へそ思考で見つめると、ひとつの出来事)を述べているだけと考えられます。

ここに根拠(エビデンス:へそ思考では、ひとつの仕組み)や解釈を求めると、作用である事実が「対象」化します。これは、その事実に関わる意味や価値を求める動きだからです。そして改めて事実に向かう(戻る)動きこそがコト思考につながっていきます。

これらを分析的に判断するには、過去・現在・未来といった時間軸の中で考える必要があります。
ある瞬間とその前後です。
時間軸でみつめると、一瞬で切り替わることもありますし、じわじわ変わって変化に気づかないこともありますし、忘れた頃に一気にドカンと変革が訪れることだってあるでしょう。

このように、コトには何らかの順序があることがわかり、その前後を意識できるようになります。

出来事のとらえ方は様々ですが、例えば氷は零度よりも暖かくなれば(事態(状況の変化))溶解(事実)し、溶ければ(事態(状況の変化))液体化(事実)するような一連の関連性で見つめると、『作用とは対象がもつ「仕組み」が生み出した事実』とも言えそうですね。

・対象は「解釈や根拠←事実」

デジタル大辞泉によると、対象とは

1 行為の目標となるもの。めあて。「幼児を対象とする絵本」「調査の対象」
2 哲学で、主観・意識に対してあり、その認識や意志などの作用が向けられるもの。

とあります。
作用(事実)は、私たちが見つめた瞬間に「出来事」化します。出来事には、ほぼ必ず「根拠(仕組み)」が伴います。そして、それらを解釈する人の「こころ」があります。

事実とは状況なのですから、ぐっと広く捉えれば実際に起こったかどうかは関係なく、起承転結のような流れの中で現われるひとつの出来事です。

ですから「天変地異が起きて弥勒菩薩が現れる」のような既に予約された事態(物語)には現実感がありませんが、仏教としての「根拠(仕組み)」にはちゃんと根ざしています。そしてそこには弥勒菩薩がもたらす「機能」なども内包していることでしょう。

このような対象には、その理解のために根拠と解釈が付与されていきます。つまり、意味づけや価値づけです。

例えば、氷が溶けるのは融点温度という『根拠(仕組み)』によって起きます。分子レベルでの機能の効果もあって、体積は少し増えるようですね。

そして『解釈(こころ)』です。前回は「白い」に対する解釈で意味が変わることをお示ししました。今回の「時間」に関しても、時間とは一瞬の繰り返しか、積み重ねかなどの捉え方でも意味が変わります。

解釈とは、『対象を理解する意思をもった者の態度』です。どんな態度をとるかによって、その者の先に続く作用も変わります。

このようにコトを見つめていくと、作用と対象は態度を媒介にして常に動き続けていて立ち止まる事を知らないかのようにめまぐるしく変容し続けることがわかります。

私たちはその一瞬を切り取って、あれこれ議論することはできますが、実際の生活では常に時間が流れ続けている以上、変化し続けることから逃れることは困難です。

それは好転もするし、暗転もするということを意味します。良い時もあれば、苦労する時もあるということですね。

これは、虚飾や虚構などで身の周りを固めたところで虚しさからは逃れられないことにもつながっていきます。

まずはありのままの自分と向き合うこと。自分を受け入れること。自分と周りの自体をしっかり受け止めること。
そう。これはことづくりの基本姿勢ですね。

ですから、上記の「基本姿勢」はどうしてもはずしたくない心がけとなるのです。

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