モノ思考とコト思考1

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毎日暑いですね。畑作業も大変です。そんな暑いさなかではありますが、しばらく難しいお話が続きます。

今回のお話はへそ思考の本質につながる部分です。
(まだまだ試行錯誤の段階ですから、ひょっとして来年あたりにはもう少しグレードアップしているかも知れません。先にお詫びしておきます(*^^*))

◯モノ思考
物質的なモノと言われれば、自動車や宝飾品など具体的に製作したり購入したりできるモノだったりするので、安易に想像できますよね。

ただし、ことづくり生活で言う「モノ思考」とは、物質主義的なモノをつくったり購入したりとは限りません。もっと多くのコトを含みます。

「こと」を見つめるために哲学的な言葉を使うと「対象と作用そして態度(意識)」の3領域があります。

やる「こと(内容)」をリストアップして計画的に進める。計画を立てている状態はコト思考ですが、実行しているだけなら、ことづくり的にはモノ思考となります。
何かをやっている(かたちをつくるなど)のですから、それはモノではなく「コト」です。ですが、コト思考と呼ぶには足りない部分があります。

この違いは、ひとつのこと(ゴールにたどり着くなど)だけを考えるだけになってしまうと、そこには途中経過やそのこと自体に疑問を抱く余地がなくなり、思考停止の状況が起きるからです。

モノ思考とは、基本的には「物質的な存在」にとらわれることです。
わかりやすくいえばモノが欲しい、モノに囲まれたいというような感覚を重視する思考です。

ですが、それだけではなく対象化された物質的ではない「コト」にこだわる関わり方もあるのだろうと、ことづくりでは考えています。

例えばデートプランを考えている時はコト思考ですが、プラン通りに動こうとするのはモノ思考といった具合です。

モノ思考とは
・主たる目的は商品購入
・主たる目的は行為自体
のように、出来事の前後や表裏にある仕組みやこころを見つめない、臨機応変さや変幻自在さの薄い、馬車馬的な活動や思考であるとしています。
ですから行為に没入している状態、それ自体はコトですが、広い視点で見つめるとモノ思考のひとつと言えます。「思考」より「感覚」を重視して、行動の根拠や解釈をいちいち考えていないことからも明らかです。

こうして見つめると、ルールを重視していることや、決まりごとにきっちり枠をはめ込み、四角四面にする行為もまた、モノ思考と呼べそうです。

この、モノ思考とコト思考の境界は「こと」の見つめる先が対象か作用か、とすることもできます。

作用や対象については後日触れますが、「ただ起きるだけ」という見方もできます。その作用自体に良し悪しなどを求めるのは「人」ですし、そこへの想いから来る意味づけや価値づけですからね。

例えば、アルコールランプにライターの火を近づける(出来事)を起こすと、気化したアルコールの着火温度に達する熱量を与えられて火がつくという(仕組み)を利用しているだけです。

燃えるきっかけは与えられても、人が分子構造をいじっているわけではありません。

同じく、遺伝子構造を操作したとしても、操作の先にある反応自体には関われません。人が知り得ない、扱いきれない仕組みがそこにはあるからです。

モノ思考とは、「出来事として起こる事実やその背景にある仕組みに対して直接的、感覚的に関わる姿勢」ということもできそうです。

続きは次回へ。

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