人がする「こと」3

前回はH.E.S.O.思考を「仕組み」から見つめました。
今回は「出来事」を中心に掘り下げてみましょう。

デジタル大辞泉には、「社会や身のまわりに起こる事柄。また、ふいに起こった事件・事故。「一瞬の出来事」」とありました。
こころの領域である、感情面が含まれない事実のみが取り上げられるとわかります。

「出来事」を体験する。つくりだす

まずはH.E.S.O.での簡単な説明から入りましょう。
ここでの出来事には、「あなたの身の周りに起きる事実、何かに関わった時の状態や経験、伝聞や史実などが入ります」としています。

今、目の前に起きているコト。これは現実社会でたった今、自分の前で繰り広げられた事実が連続する状態です。意識してはじめて見える、という条件もつきますが。

「出来事」は何かしらの仕組みを基にして起こります。それは現在に限らず、過去に起こった史実などがそうですし、可能性としての未来に起こりうる状態だってそうですね。

そこには厳密な関連性があるのですが、解明されているコトと未解明なコトがあり、どちらの領域も科学者と呼ばれる人たちが多方面で分析し続けています。
何事も絶対と言い切ることは難しいのですけど、仕組みがわかっているから再現性が担保されているんですね。

人が関与できない出来事ですが、これは仕組みを全く、もしくは一部ないしは完全には把握していないという言い方もできます。

例えば太陽が燃焼する仕組みは結構解明されていますが、そのスケール感や条件においても関与は一切出来ないですよね。
人間が太陽の燃焼に意図的に参加することはスタートレックのようなSF映画のような世界でなければ不可能です。この出来事は「空想」の面を帯びますが、これは「物語」という出来事の記述と言えます。

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さて、ここで整理していきましょう。
人が関与できる「出来事」は、仕組みを理解し操作できる状態と、無理解で起こる状態と、結果から認識できる状態などがあります。(空想は後に回します)

動的か静的かと言えば、「出来事」は目の前もしくは想定されたタイミングでで起こる訳ですから、時間軸上で変化し得る動的な要素をふんだんに含んでいる「コト」です。瞬間の静的な対象が時間軸でつながって対象の連続が起こると、様々なきっかけや可能性から多方向へと向かう、作用と呼べる動的な状態が生まれます。
このように、出来事は時間で捉えますから、空間のありようには縛られないんですね。

1000年間安置されつづけている仏像の拝観に寺院を訪れ、私たちが目にして感動するような出来事の裏で、風化や劣化という化学的な変化という出来事も同時に起きています。
このようにひとつのモノ(対象)には、同時に複数のコト(状態)が起こり得るのです。

続きは次回へ。

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人がする「こと」2

「仕組み」を組成する
また、仕組みには人が作り出せる想像上の仕組みや思想的な仕組み、厳密な行程を追跡できる仕組みや作りようのない原理原則的な仕組みがあります。

その中で私たちが作り出せるのは「組み合わせ」で、最小単位は人には作り出せない「仕組み」で成立していると考えられます。

物質的なこの肉体を構成する細胞はIPS細胞などで「再現」できても、機能を「変更」できても、無(ゼロ)からの組成は不可能でしょう。

例えば油が燃えるのは、人が作り出した仕組みではなく、自然界にある仕組みを見つけて利用しているだけです。

こうして、知っている仕組みを「組み合わせ」て、圧縮や連続燃焼できる仕組みをクランクやシリンダー、ピストンなどを用いて人にとって都合の良い仕組みをくみ上げることは可能です。
シリンダーやピストンは気体を圧縮すれば爆発の威力が増すなどの仕組みを構造的に利用しているに過ぎません。ゼロから生み出した訳ではないですよね。

先日自動車メーカーのマツダがアメリカで新たなガソリンターボエンジンの特許を申請しているとの話題が流れました。
世界がEV(電気自動車)にシフトする流れにあってもまだまだ新たな研究と開発を進めている技術者たちの情熱を感じました。部品点数や空気の流れなどをより効率的に考えた結果だそうです。

これは「仕組み」に属する「構造」の領域です。
これは「新たな仕組みのかたちを組み上げた」とも表現出来ます。

H.E.S.O.思考的には既存の仕組みを「みつめて、ひきだし、たかめて、みまもる」志向姿勢の先でつかんだ新たな効果や効率を追求したかたちです。

この構造に効果や効率を追求するためには、機能を明らかにして行く必要があります。そして機能は出来事を生み出します。出来事から機能を発見して、そこに仕組みを見出すことだってあります。

どっちが先とかはありません。
どっちでもいいのです。

このとらえ方の違いもまた解釈の違いへと発展していく要素がH.E.S.O.の流れにも表れるから面白いのです。

人が作り出せる仕組みとは、自然界に存在する原理原則を足がかりにして、その「関連性」を利用するだけです。全くのゼロから生み出すことは不可能です。
ゼロから生み出したと思っていても必ず「前提となる条件」からは逃れられないのが、人としての限界です。それ故に超越的ななにかがあれば全ての説明がつく、という思考に流れがちになるのです。

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再現性のある仕組みを多くの人にとって理解可能な状態にまとめ、いろんな仕組みとの整合性をとっていくと「理念」となります。

理念と空想が分けてあることなども、「仕組み」のひとつなのですが、「仕組み」についてはこの辺りで終わりにしましょう。

続きは次回へ。

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人がする「こと」1

「仕組み」を見つける・考える

先に言っておきますが、仕組みを見つけるのも考えるのも「人」です。
「仕組み」がH.E.S.O.の図式で「こころ」からはみだしているのは、未知の領域も含むからですが、人によって感じ方が違う部分を廃した共通了解可能な領域も示すからです。
人は想像力豊かな生き物です。自分が信じる「仕組み」を当てはめてください。

注意が必要な点もあります。
例えばキリスト的教義における「仕組み」には、イスラム的教義では受け入れがたい内容もあるでしょう。あなたが正しいと思っている仕組みは唯一絶対ではなく、解釈によって様々で、捉え方ひとつで価値を感じられない仕組みにだってなり得るんです。
人との共通項を探すのなら、人との価値へのすり合わせのためにも相手の「仕組み」をよく知ることは大切です。でも、自分の価値を押し付けてしまうと、「こころ」を大切にしているとは言い難いですよね。

H.E.S.O.思考自体は論理構築という役割を担っているだけで、真理を導く公式ではありませんから、そこに意味や価値を見出すのはあくまであなたなのです。

これを勘違いすると、あなたの知りたい答えに近づけると誤解を与えかねない内容のハウツー本にありがちな、共感はできても実用に耐えない思考に陥りかねないですから注意が必要です。

H.E.S.O.思考でいう「仕組み」とは、わかりやすく「あなたが活用したいルールや法則、建物・電気製品・文法などの構造、広く知られた理論などが入ります」と記述しました。それは再現性が見込めるひとつの定式化が可能な事象を指します。

定式化とは「〇〇すれば〇〇となる」という決まりごとです。
決まりごとは確固とした信念につながりますので、いわゆる理念化された状態を生み出します。

このように見つめれば、週刊誌や漫画などに始まり、教本やハウツー本、生き方を示唆してくれるような雑誌や学術書まで、全てなんらかの「仕組み」を利用しているとわかります。
例えば漫画。コマ割りや段抜きで読み手を引きつける仕組みを用います。アクション系の漫画であれば、めくったページが前面派手なシーンで埋め尽くされている、なんて仕掛けもありますよね。

この「仕掛け」とは、仕組みを用いた「こころ」に響く「出来事」の創出で、そこには機能的な役割をもたせています。

。。ほら。
こうやってみていくと、仕組みだけで語ろうとしても、結局3つの領域に触れざるを得ないんですよね。
全てが関係し合っているっていることがこれだけでもおわかり頂けるのではないでしょうか。

また、「仕組み」の全てを人が理解できるとは限りません。
いろんなことが解明されてきた現在とはいえ、未知の領域はとてつもなく広いのではないでしょうか。

謎が謎を呼ぶ、なんていうとミステリアスでファンタジーですけど、人というのは理解にたどり着けば次が知りたくなる存在なのだそうですから、これは永遠の課題かも知れませんね。

例えば世界を構成する最小の単位は何か、という問いがあります。紀元前の昔なら4大元素なんてありましたよね。電子を構成する存在に素粒子もあります。でも、それを見つけると次を知りたくなるそうです。
で、「それは何で出来ているの?」って。

まぁ、宇宙の仕組みなんてまだ誰も知り得ていませんから。クマムシがどうやって放射線の中で生き延びるのかだって未解明ですからね。

世の中に知らないことはいっぱいです。それらもどんどん仕組みに入れちゃってください。

何度も繰り返しますが、へそ思考自体は世の中を解明する公式ではありません。思考の流れやパターン、組み立てを表しているだけで、未知の領域として解釈した上で謎を解明するのはあくまでも「人」なんですから。
だから謎が謎を呼ぶし、その謎に対する夢も感じますし、悩まされもするんですね。

「答えはある」というとその先はどうなんだとなりますし、「答えはない」というと思考停止になりがちな人の心の動きというのは、哲学者のカントがアンチノミーという難解な説明を駆使して解き明かしていますけど、それもまた「仕組み」のひとつですし。

続きはまた明日。

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人がする「こと」序

人がする「こと」って、本当にいろいろです。

理性的に考えたり、感情に振り回されたり、選択に悩んだり、堂々巡りになったり。
目的に向かって一目散に突き進んだり、散々悩んで一歩が踏み出せなかったり、とにかく走りながら考えたり、じっくり方法などを検討してから走り出したり。

性格も考え方も本当にいろいろです。でも、その根っこにあるのは、未来志向的な姿勢が共通するのではないでしょうか。

そのために思い描く理想像に向けて、様々な要素をくみ上げることだってあります。

ここでどんな行為や行動をつくっているかといえば、自分なりに納得できる意味や価値を求めて、感情や感覚からの情報収集や分析と、論理や妄想による推論や予測と、叙述や振り返りによる整理など、時間軸で見れば過去・現在・未来の様々な情報(自分の内と外それぞれの情報と、その関わりから生まれる情報)とどのように向き合うかといったことがあるでしょう。

感じて動く・動いて感じる
考えて動く・動いて考える
見つめて感じる・考えて見つめる

様々な情報を受け取り、処理する全てはあなたのこころに起因します。そこで多方面への「かたちづくり」が行われるのです。

コトを見つめるために考案したH.E.S.O.思考は、複雑に絡み合う関係性のかたまりを単純化しただけです。

どこかを取り出して概念を語ることは出来ても、所詮それは静的な対象化されたモノとなって、動的なコトを単純にわかりやすく説明することはなかなかに困難です。

それは人が「考える」ことに対する宿命のような状態を背負っていて、次から次へと生み出される疑問というコトに左右されるからです。
そうなると簡単に答えにはたどり着けませんから、人は絶対的ななにか(超越的な存在など)を根元に求める性質があるようです。

ところが前述の理屈で行けば、一切の絶対ですら疑おうと思えばいくらでも疑えます。

そこで17世紀の哲学者デカルトは、出発点を自分自身に据えました。この時客観から主観が切り離され、「人それぞれ」という考え方がうまれたそうです。
(※「カント信じるための哲学」 石川輝吉)

こういうことも踏まえてH.E.S.O.思考では、まずは大きな輪っかを描き、その全体を俯瞰したり、輪っかの一部を見つめているんだという自覚をもって思考したりすることを大切にします。

この大きな【輪っか】は「こころ・出来事・仕組み」という3つの輪が重なり合ってできています。この領域は互いに関係し合っていて、その重なる領域に「空想・理念・機能」があります。
そして全てが重なる輪の真ん中には、あなたが探っている意味や価値が見え隠れしているのです。

さて、次回以降はH.E.S.O.思考をもう少し詳しく探ってみましょう。

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知識と人との関係性

問いを出して正解を答えるテレビ番組って、結構多いですよね。

テレビ番組などを見ていると、【知識の獲得 = 知性的】と見られる傾向が、報道機関(メディア)を中心に根強いと感じるのですが、みなさんはどうでしょうか。

今回は、知識を語ることと日常生活を豊かにすることがどう関わっているのかを見つめてみましょう。

私は「こころ、出来事、仕組み」に起因するような好奇心が原動力で知識獲得を目指す(コト的)人と、結論や必ず正解がある前提でその正誤を問われる受験勉強のような単に知識の増加を目指す(モノ的)人とは、そこに込められる意味や価値が決定的に違うと思っています。

もちろん、知識を手に入れる楽しさはモチベーションを高めてくれる要因となりますし、目の前の問題解決のための知識獲得が、更なる問題追求へと向かうきっかけを得て、どんどん未来志向していく姿勢もとても素敵だと思います。

理由がどうであれ、知識を得るのは生活向上への楽しみに繋がります。

知識とは「知る」存在としての静的な場面ではモノ(対象)であり、関係性が構築される動的な場面では、コト(作用)も起こします。

また、人に対して知識を提供(学校や塾、コンサルタント業やワークショップや、前述のバラエティ番組など)も可能です。

例えば、こうして獲得した知識(モノ)は、幼児であれば外的な世界や内的な自分の理解などとして、学生であれば学業や部活動などの成績として、社会人は日々の生活や生涯学習の学びとして、企業人は現状の改善や新規企画などへつながって(コト化して)いきます。

以前、ダイナミック(動的)かスタティック(静的)かのお話をしました。
モノはスタティックで、コトはダイナミックという分け方も紹介しましたね。

知識は、知識として固定された静的状態では何も起こりませんからモノです。つまり機械のような道具と同じです。 知識を活かすのは「人」ですから、静的な知識から動的なコトを起こせるのは人なのです。
当たり前ですが、知識が勝手に解釈してくれて一人歩きするわけではないのです。

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人が知らないことを自分が語ることが嬉しくて仕方ない。これ、こうやって書いている自分自身もそんな気がします。
反省してても先に進まないので、ちょっと棚上げして先に進みましょう。

本当に知的な人ってどんな行動をとるのでしょうか。
立派な人が周りにいっぱいいたら刺激的なのでしょうけど、現実は少数派でなかなか出会えないですよね。

たまに出会うと、自分自身の「こころ」から出てきた言葉で自然に話します。
説明してと頼めば平易な言葉でスラスラと語ってくれます。そういう人に出会うとその素敵な人柄に憧れます。
やはり「自分自身の言葉」でわかりやすく話せるスキルって、とても大切だと思います。

ここには、知識が確実にその人のモノとなり、その人の「こころ」を通して身近な「出来事」などに置き換えてくれて、わかりやすい「仕組み」として提供してくれているというコトが起きているとも考えられそうです。

さて、以前に「身にまとう」お話をしました。
知識って何かの役に立つのでしょうが、知っていることを「反芻(はんすう)」するだけじゃあんまり価値を見出せるようには感じません。これでは「知識の再確認」と呼ばれる記憶を辿るだけの行為になってしまいがちです。

大事なのはその知識を「どう(動的に)使いこなすか」ではないでしょうか。
そのためには身につけた知識に対する「意味や価値」を、たまには意識し、考え、見直すといった「見つめる」姿勢が必要でしょう。

繰り返しになりますが、知識は知識だけで世界を成立させているわけではなく、他でもないあなた自身の関わりがあってはじめて意味や価値を与えられるのですから。

それを意識した上でいろんな知識に触れてみると、これまでとは違った楽しみ方が見つかるかも知れませんね。

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「あなたらしさ」とは2

前回の続き]です。

勉強会で参加者と一緒に考えて苫野先生がおまとめになった、自分らしさの本質である「自己欲望の内的調和」について、今少し見つめてみましょう。

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「自己欲望」とは文字通り自らが望むかたちに向かう欲求です。これをどのように捉えるかで自分らしさへの見方感じ方考え方も変わります。そしてそれが行為や行動に表出します。

基本的に、自分らしさとはあくまで「あなた」という主人公が抱く感覚です。ここには情状性や情動性があります。
情状とは実際の状況で、感情をもつに至った過程や結果です。
情動とは感情の表出で、急激に(短絡的に)態度として現れた情緒です。

情状も情動も、きっかけとなるコトはあります。それは自分の中でひとつのコト(想い)を反芻(はんすう)している時もあるでしょうし、外界からのコト(事態など)による刺激もあるでしょう。

様々な関係性が表れた時に内と外との相対的な意味や価値を見つめ、バランスをとりながら自分の立ち位置を確認していく作業が「内的調和」と考えられます。

また、単なる欲求の中には生理的な欲求も含まれます。
失恋して落ち込んでいてもお腹がグゥとなって我に返り、気持ちと身体は別なんだよね、なんて悟ったような気持ちになることもありますよね。

「内的調和」とは、自分の把握しうる自分自身という存在という「かたち」にある、様々な事態をつないだり程度をわきまえたりすることでしょう。
出し過ぎず、かといって出さな過ぎず、自分の存在を確認しながら「これって自分らしいよね」と言える行為や行動などを積み重ねることで、確信をもって「自分らしい」と言えるレベルに高めることが出来るという意味での調和でしょうか。

また、自分自身を俯瞰出来ているという条件がつきますけど、不安定な状態の自分もまた「自分らしい」ということも可能ですから、いかに自身と向き合い、様々な個性的な特徴を受け入れられるかが必要なのだとわかります。

なんにしても、周囲の出来事や自分の思いなどを自覚して、自分なりの意味や価値などを探る姿勢の中で、自分らしさは見つけられるのでしょう。

ということは、やはり「答えは常にあなたの中にある」のです。
それを見つけようとし、実践しようとする行為や行動にあなたらしさが込められていると言うことですね。
こうして、あなたはあなたのままでいい、という言葉がようやく活きてくるのです。
その意味を考えて使うのと考えていないのとでは言葉に対する重みが違ってきそうです。

ぜひ、あなたらしさを探す機会をいっぱい設けてくださいね。

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かたちづくり工房

現在,新しい拠点づくりを行っています。

略称は【ことラボ】。
「ことづくり生活研究会」の設立に併せて,ことづくり生活についての知識や実践などの活動が出来る場です。
現在は「ともにスタイル館」(ともに館)を建設中です。
詳細はいずれまたお知らせします。
どうぞお楽しみに!

以前紹介した「三角地プロジェクト」の横には,前の持ち主が建てていた倉庫がありました。
シンプルなスレートづくりで作業場にぴったりと感じて,ここを「かたちづくり」のあそび場に出来ないかと考え,工作機器を並べました。
一般のホームセンターで購入できるような家庭用の電動糸鋸や,ベルトサンダー,電気ドリルなどで,特殊な専門機材はありません。それでも一般家庭で機械をそろえて常時置いておく場所がない家庭がほとんどで,使ってみたくてもその機会がなかなかないのが実情ではないでしょうか。

それを実現する場所が「かたちづくり工房」です。

「かたちづくり」にはいろんな意味を込めています。
見えるかたちと心で感じ取るかたち。

「ものづくり」と呼称しないのは,できあがりの【モノ】に興味関心があるのではなく,つくる過程や,できあがったあとに生まれる物語に用いる過程というプロセスである【コト】を重視したいからです。

まだまだ完成には至っていませんが,来年の新春,2018年1月11日に暫定オープンを目指しています。

利用には「ゆかいスタイル」の会員になって頂く必要があります。
機械の使い方もサポートします。

ごぞごぞとなにかをつくってみたい。
だけど場所がない。道具もない。
そういった方のものづくりへの敷居を下げて,日々の暮らしに自分の手で工夫する「かたち」を取り入れる。

そんな場所になれると良いなと思っております。

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29thまなびあいレポート

先日の勉強会の概要と感想をスタッフがまとめてくれましたので紹介します。参加できなかった方の参考になれば幸いです。

 

第29回まなびあい勉強会(2017年11月18日)
講師:熊本大学教育学部 准教授 苫野一徳

あなたらしさのかたちづくりに活かす「はじめての哲学的思考」

 

哲学といえば、最近はニーチェやアドラーなど、本やインターネットで目にすることも増えてきましたが、生死・愛・自分など、答えの見えにくい概念をとことん考え尽くす難解な学問といったイメージがありました。しかし苫野先生のお話をお聞きして、哲学とは「本質を洞察する」考え方そのものだと分かりました。本質とは、物事の根本的な性質のことで、世の中のさまざまな問題に対し、とことん考え抜き、できるだけ多くの人が納得できる答えを見出すための考え方のコツを提示する学問が哲学だそうです。

 

私たちは、物事を考えているときや自分の意見を述べるとき、「○○は絶対だ」とか「一般的に○○と言われている」、「客観的に考えて○○だろう」などと言いがちです。過去の経験からつくられた自分の信念を「絶対」とし、テレビやインターネットでよく目にするから、周りの皆が言っていたから、或いは自分の意見とするのに自信がないから、「一般的」や「客観的」という言葉を使ってしまうことが多いのではないのでしょうか。

しかし、苫野先生によると、絶対・一般的・客観的といった概念は、確かめようがないそうです。私たちの前にある物や事実は、それが絶対的な真実なのか、自分の目に映る風景と他の人に見えている風景が全く同じ色や形をしているのか、正確には分かりません。それらは疑おうと思えば帰謬法(矛盾を突いたり反論したりすること)を使って全てを疑うことが可能なのです。しかし帰謬法を用いてもただ1つ疑えないもの、確かなものは、自分の感覚として、見えている、感じているという確信や信憑だということでした。

 

また、「正しいのはAかBか」、「この問題は、あなたの意見と私の意見、どちらが妥当か」といった二項対立の問いは、まるでどちらかが正しいかのように思考を誤った方向へ狭めてしまいがちです。

どちらかが正しいという絶対的な答えなどないという前提に立ち、「あちらか、こちらか」ではなく「あちらも、こちらも」、どちらもできるだけ納得できる第三のアイデアを考え合う姿勢が大切だとお話してくださいました。お互いの主張をその元となる「欲望」の観点まで深く遡り、お互いに言葉にして伝え合い、すり合わせ、この部分は納得できるという共通した部分を探し出す姿勢が大切で、それによって信念対立は克服できる可能性があるそうです。

 

今の私を振り返ってみると、相手の意見や考え方を自分の物差しだけで判断し、一方的な決めつけをしてしまうことが多く、「相手との共通了解を探る」という視点に深く共感しました。

哲学的思考で大事なポイントは「ともに、前向きに、みんなが納得できる共通了解を探り合う姿勢」であると私は思います。思いやりや心遣いといった、日常生活で大事にしたい思いと、根底では共通しているのでないかと気づき、より一層心がけようと思いました。

勉強会の後半には、参加者みんなで哲学的思考の奥義「本質観取」を行いました。テーマは当財団が大切にしている「自分らしさ」。その本質は「他者関係との中で反復的に形成された、自己欲望との内的調和」となりました。

今回の勉強会で学んだ「本質を探る姿勢」、「みんなで共通了解を探り合う姿勢」を大切にして、自分らしいかたちづくりとして、私には何が出来るのか、じっくり考えていきたいです。

(STAFF 佐々木)

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「あなたらしさ」とは1

ことづくり生活では「あなたらしさ」をつくるという姿勢を大切にしています。

その、自分らしさとはなんなのかを29回まなびあい勉強会にお招きした苫野一徳先生と参加者が一緒になって,「本質観取」という話し合いで考えました。それを先生がまとめた言葉が以下です。

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「自己欲望の内的調和」。

自己欲望には、単なる欲求から自己価値承認欲望までレイヤーがあり、他者関係を通して反復的に形成される。

原初的には、他者関係を通した挫折経験から自己ロマンが形成され、その絶えざる調整を通して自己欲望が形成される。

自己欲望の「調和」の根本条件。自己欲望と他者承認の調和。

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さすがにこれだけではなんのことかさっぱりわからない方が多いでしょうから、私なりに少し噛み砕いてみました。

自分らしさは信念に基づく行為や行動もありますし、人に認められたいといった承認欲求もあるでしょうし、その過程において自覚することもあります。

自己完結する自分らしさとは誰かに話したい訳でも、知ってほしい訳でもありません。誰に見せるわけでもない下着の色やデザインをこだわったり、好みの異性を見つけると自然とチェックを始めたり,趣味に関する売り場に長時間滞在したり、山頂でぼーっと過ごしたりなど様々なことがあるでしょう。

このような自分のとった行為や行動を振り返って、同じパターンを繰り返していることを確認して、ああ自分らしいなぁと思うこともあるでしょう。
疲れて帰って、お風呂にどっぷり肩まで浸かった瞬間もそうですよね。これは「至福のかたち」が自分の中にあるからでしょうか。

私などは忘れ物が多いのですが、忘れ物を取りに戻ったばかりにさっきまでやろうとしていたことをすっかり忘れて、ああ、と落ち込むとともに自分らしいなぁと再確認すると同時に、ちょっと自虐的に納得したり悩んだりもします。このような独自のルーティンワークにぴったりハマった際に感じることもあるようです。

*****

また、他者との関係性においては人との違いを自分らしいと思う場合もありますし、人と同じだったりに合わせたりすることで自分らしいと思う場合もあるでしょう。

場合によっては、人に迷惑をかけること自体を自分らしさと感じる場合もあるでしょう。迷惑な話ですが、自分らしさという観点からは正しいと言えます。

自己主張が強すぎたり、他者受容要求が強すぎたりすると自分らしいかも知れませんが、結果的にしんどくなってやるせない気持ちに満たされると、この自分らしさはなんとか改善したいと思うでしょう。

そうなると適度なバランス感覚(調和)が大事になってきます。

以前お話しした不便益も自分らしさを表出させるひとつの考え方ですし、次回にお招きする京大変人講座を開催されている酒井先生も、各自の自分らしさを見つめて欲しい願いを感じます。

自分の特技や特徴を、誰かに認められたい(認めさせたい)という承認への想いが実現可能かどうかを、常に外の世界と照らし合わせながら探って行く行為や行動も含めて、自分らしさにつながるのでしょうね。

[続き]はまたの機会に。

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こころは勝手に変わらない

みなさん。自分のどこがお好きですか?
ここでの話題は容姿などの外見ではなく内面です。日々の姿勢や態度などのことです。

私は改善したほうが良い点がいっぱいですが、少しずつ目指したい方を見つめて亀の歩みを続けている状況です。

さて、内面とは「こころ」ですね。
例えば態度をへそ思考的に言えば、「こころ」が感じる価値観が心理的表現の「仕組み」に基づき「出来事」をつくり出した状態です。

その内面を変化させるにはどうすれば良いでしょうか。

変化への期待は、現状に満足していないから起こる感情です。
ですから、うっかり変わっちゃったなんてことはまず起こり得ません。

変わるのは媒介があるからです。
で、トリガーを引くのは自分自身。
自分の中にあれば、とうの昔に引いています。

また、引きたい気持ちは自分の中。
トリガーというきっかけが、あなたの外にあるだけです。

前回の『きっかけがある、だけ。』と同じですね。

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さて、〇〇に影響を受けた。

というのは捉え方によっては人のせいにもなり得るのですが、それは「おかげ」であって「せい」ではないのでしょうね。
甘言などに惑わされて大きな失敗をこうむったなど、相手が騙すことを目的として接触してくることもあります。
強制的にひとつの選択を要求されたり即決を求められたりして、逃げ場がない時は致し方ない面もありますが、基本的にはどこかで選択の機会があります。

そんな時に何かの「せい」と言いたくなる気持ちを抑えた心のありようを身につけておきたいものです。

こころはあなた自身が変える

結局のところ、他者の心変わりまでは関われませんが、少なくともあなた自身のこころはあなた自身が変えられますし、変えないこともできます。

「こころ」に影響を与える対象は確実にあるけれど、受け手による作用への解釈がトリガーになるわけですからね。

 

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