知識と人との関係性

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問いを出して正解を答えるテレビ番組って、結構多いですよね。

テレビ番組などを見ていると、【知識の獲得 = 知性的】と見られる傾向が、報道機関(メディア)を中心に根強いと感じるのですが、みなさんはどうでしょうか。

今回は、知識を語ることと日常生活を豊かにすることがどう関わっているのかを見つめてみましょう。

私は「こころ、出来事、仕組み」に起因するような好奇心が原動力で知識獲得を目指す(コト的)人と、結論や必ず正解がある前提でその正誤を問われる受験勉強のような単に知識の増加を目指す(モノ的)人とは、そこに込められる意味や価値が決定的に違うと思っています。

もちろん、知識を手に入れる楽しさはモチベーションを高めてくれる要因となりますし、目の前の問題解決のための知識獲得が、更なる問題追求へと向かうきっかけを得て、どんどん未来志向していく姿勢もとても素敵だと思います。

理由がどうであれ、知識を得るのは生活向上への楽しみに繋がります。

知識とは「知る」存在としての静的な場面ではモノ(対象)であり、関係性が構築される動的な場面では、コト(作用)も起こします。

また、人に対して知識を提供(学校や塾、コンサルタント業やワークショップや、前述のバラエティ番組など)も可能です。

例えば、こうして獲得した知識(モノ)は、幼児であれば外的な世界や内的な自分の理解などとして、学生であれば学業や部活動などの成績として、社会人は日々の生活や生涯学習の学びとして、企業人は現状の改善や新規企画などへつながって(コト化して)いきます。

以前、ダイナミック(動的)かスタティック(静的)かのお話をしました。
モノはスタティックで、コトはダイナミックという分け方も紹介しましたね。

知識は、知識として固定された静的状態では何も起こりませんからモノです。つまり機械のような道具と同じです。 知識を活かすのは「人」ですから、静的な知識から動的なコトを起こせるのは人なのです。
当たり前ですが、知識が勝手に解釈してくれて一人歩きするわけではないのです。

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人が知らないことを自分が語ることが嬉しくて仕方ない。これ、こうやって書いている自分自身もそんな気がします。
反省してても先に進まないので、ちょっと棚上げして先に進みましょう。

本当に知的な人ってどんな行動をとるのでしょうか。
立派な人が周りにいっぱいいたら刺激的なのでしょうけど、現実は少数派でなかなか出会えないですよね。

たまに出会うと、自分自身の「こころ」から出てきた言葉で自然に話します。
説明してと頼めば平易な言葉でスラスラと語ってくれます。そういう人に出会うとその素敵な人柄に憧れます。
やはり「自分自身の言葉」でわかりやすく話せるスキルって、とても大切だと思います。

ここには、知識が確実にその人のモノとなり、その人の「こころ」を通して身近な「出来事」などに置き換えてくれて、わかりやすい「仕組み」として提供してくれているというコトが起きているとも考えられそうです。

さて、以前に「身にまとう」お話をしました。
知識って何かの役に立つのでしょうが、知っていることを「反芻(はんすう)」するだけじゃあんまり価値を見出せるようには感じません。これでは「知識の再確認」と呼ばれる記憶を辿るだけの行為になってしまいがちです。

大事なのはその知識を「どう(動的に)使いこなすか」ではないでしょうか。
そのためには身につけた知識に対する「意味や価値」を、たまには意識し、考え、見直すといった「見つめる」姿勢が必要でしょう。

繰り返しになりますが、知識は知識だけで世界を成立させているわけではなく、他でもないあなた自身の関わりがあってはじめて意味や価値を与えられるのですから。

それを意識した上でいろんな知識に触れてみると、これまでとは違った楽しみ方が見つかるかも知れませんね。

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