「感性」についてのご指摘を受けて

これまで何気なく使って来た「感性」ということばについて、考える機会がありました。

まなびあい、について協力をお願いした先生より「定義が様々で、どう育ったかを判断することも立証することも難しい。感性が育つことは誰も反対しないし、できない。いいものだとはわかっていてもそれだけでは人を説得するのは困難ですよ」とご指摘を受けました。

自分でもぼかしたことばだなあ、と感じてはいても他に置き換わる言葉を探すこともなく、意味も深く考えなかったことに気づきました。ぼけたのが美術だと思わせてしまっていたなら、なおさらに「美術はどうでもいいや」の温床をつくってしまった原因なのかと自省しました。

私は何を込めたかったのかを考えてみました。
・感じ取る力を育てる
・関わり合う力を育てる
相手の思いを受け取り、自分の思いを土台にして相手に伝え、相手の意見を聞く。そして新しい価値をつくって行くたのしみを味わう。

美術=個人プレーの制作
ではないことを一般化しないと、結局制作できない人にとって特種性しか印象に残りません。だからこそ、「つながる」ということをキーワードに取り組まないといけないのでしょう。

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ムサビ学生による市美ワークショップ

7月30日土曜の13:00から、高松市美術館でムサビ(武蔵野美術大学)学生によるワークショップが開かれました。
一部香大の学生さんもお手伝いしていたようですし、工芸高校のボランティアスタッフも参加していました。

Tシャツを持ち寄り、龍の肌をイメージしてペイントしたものを連ねてドラゴンをつくる、というイベントでした。
参加したこどもたちが、いきいきと作業しています。迷っているこどもには学生が元気よく声をかけています。頼れるおにいちゃん、おねえちゃん、といった感じです。

印象に残ったのは、大学生の上手な声かけ、作業の支援です。どれをとってもそこそこ勉強して来た教員の動きです。これまでの経験の多さが、学生の資産となっているのでしょう。 さりげなく絵の具の混ぜ方を伝え、ぬる、なする、たらすなどの表現方法を、こどものやりたいことに合わせて助言しています。教員志望も多いようで、将来がとても楽しみな学生たちでした。
また、参加していた高校生は、自分の将来像である大学生の姿に刺激を受け、いきいきとしていました。私の教え子が一人参加していましたが、「入試に向けたデッサンに嫌気がさしていたけど大学生の姿を見てやる気が出ました」と感想をもらいました。
そうやって、「つながり」がここでも生まれました。

事前に竹を準備していたようで、Tシャツがどんなふうにディスプレイされるのか興味のあるところでしたが、まさかこんなスタイルとは、という驚きのほうが大きかったです。

夕方。ここまで展示して、学生たちはへろへろでした。こどもたちと関わるというのは自分が作品作りをするよりずっとエネルギーが必要です。それでも学生たちの顔は晴れ晴れとしていました。
作品は高松市美術館中二階に展示されています。小谷元彦展の間は展示されいるようですので、この夏休み期間中に、こどもたちと学生たちが「つながって」作り上げた作品を、ぜひともご覧ください。

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三澤先生をお招きして

7月29日、武蔵野美術大学の三澤一実先生をお迎えして、香川県下の中学校美術科教員の集まる夏季研修会が実施されました。

午前中は映像ワークショップ。

デジタルカメラの動画機能を用いて、30秒から1分の無声映像を作ります。カメラは三脚固定で、必要なのはその場の構図と、何を写すかにかかっています。お題は「夏」。先生方に混じって中学生の美術部や大学生のグループもあって、おもしろい映像がたくさんありました。

午後は「旅するムサビ」の香川版。

ムサビの学生が中心となり、香大の学生も加わって実施。対象が先生たちというイレギュラーな組み合わせでしたが、先生相手でも物怖じしない学生たちの経験豊富さを感じることができました。

その後の三澤先生の講演では、学習指導要領の作られ方や、表現と鑑賞のバランスなど、図式を用いて非常にわかりやすく説明していただきました。

こうでなくてはいけない、とすぐに形を求めて結論を求めがちな議論ではありますが、本来はその相互関係、バランス感覚が必要なんですね。
今回は、美術館の学芸員や高校の先生など校種を超えた人たちも集まりました。中学校の先生方が研修を深めている姿や研修内容を見て、感じて、それを自分たちの分野でこどもたちに返すきっかけを手に入れられたことでしょう。

デジカメを使った映像ワークショップや対話による鑑賞の研修を受けた先生方が、この刺激をどのように噛み砕いてこどもたちに返していくか。
今後の先生方の実践に期待しています。

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ヤブカラシの茎によくいる生き物

10数年も放置されていた畑ですから、茅やすすきなどと並んでヤブカラシの根も張りめぐらされています。これを取り除くのは非常に困難と言われています。それを身をもって経験しました。
とにかく生命力が旺盛です。もう枯れているのかと思う根から、それもほんのちょっとのかけらからでも芽が出ます。地面を突き破り、ぐっと茎を伸ばし、気づいたときには数十センチの大きさに成長していることも。

その茎をつかんで抜いていて、はじめて知りました。
黒い幼虫がいるのです。
お尻に長い1本の針をもった幼虫がいます。

時に大きく成長しているものもいます。
調べてみると「セスジスズメ」という蛾の幼虫でした。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/020926a1.html

自然のたくましさを知ると同時に、人が作物を管理する難しさも実感します。

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生命を考える

25日、高松市役所のロビーで行われている写真展にお邪魔しました。
9時半頃でしたが、民放テレビ局の取材も来ていました。

「犬たちをおくる日」著者今西乃子の世界 と題で行われていた写真展は、野犬や飼えなくなって保護された犬の末路を紹介するものです。
引き取られる数はごく僅かで、後は殺処分されるそうです。
先週末には、動物番組で虐待されたり飼えなくなった動物を保護している施設が登場していました。犬は人間を信頼し、寄り添っていたいのに、人間は自分の都合で生殺与奪を繰り返している姿にただ驚くばかりです。

殺され、焼かれ、骨になった写真も公開されていました。とてもショッキングな写真であることは間違いありませんが、主催していた藤原さんによると、この現実から目を背けることなく命の大切さを考えてほしいとのことでした。

命に対して責任をもつということはどういうことでしょうか。
単に情に流されることなく、それぞれが考えるべき大切な問題です。

東北の震災や原発問題で置き去りにされたペットの話題もよく登場します。
この犬という単語を「人間」「こどもたち」を置き換えると、大切にすべきものが見えてくるように感じます。
相手が植物であっても、人間は他の命を得て生きています。
ともに楽しく過ごしたいと願うパートナー(犬に限らず)を、大切にできているか。
自分の都合だけで判断していないか。

たくさんのことを考えさせられた展示でした。

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ひまわりが…

ずいぶんと育ってきたロシアひまわり。
最近ではひまわり=放射性物質の除去という図式もありますが、ひまわりのような大輪は見ていて迫力があります。
近年はちいさなひまわりの品種が人気のようですが、私はやはり昔から「ハムスターのえさ」、「菓子パンのトッピング」のイメージがある大きな種が実る大輪のひまわりが好きです。


7月18日撮影のひまわり

ようやく花が咲きました。
ところが今回の台風6号で、根元からひっくり返されてしまいました。
台風2号のときはまだ小さくて、根こそぎ倒れたと思ったのですが、自力で立ち直りました。それはとうもろこしでも同じでした。植物のたくましさを感じましたが、さすがに今回は大きく育ちすぎていて、折れてしまったのではどうしようもありません。
見晴らしの良い高台のメリットよりも、風当たりの強いデメリットが現れてしまった事例となりました。

7月20日撮影のひまわり

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生命のつながり

夏本番を迎え、ようやく蝉の声が朝から聞こえます。
高松の中心地、田町の画材屋さん前で、蝉のたくましい姿を見つけました。

周りはアスファルトで覆われていて、地表はほんの少しです。
ですが、その街路樹に蝉は生活をしていたんですね。

地面にはたくさんの穴が。
近辺に10数個の穴があいていました。それだけの数、蝉が一斉に出て来たということですね。

葉っぱにぶら下がり、脱皮して成虫へ。
そしてこの命のつながりはまた来年も見られるのでしょう。

こういった自然に感動し、そこからいろんなことを感じ取れる心を、こどもたちにはぜひ育てて行ってほしいと感じます。

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真っ黒!

台風6号の猛威もようやく落ち着きました。
被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
今日は曇り空、過ごしやすいと良いのですが。

畑仕事をするようになって、ずいぶん日に焼けました。
最近では畑仕事はお昼まで、と決めています。
近くの工場から響く正午のサイレンが合図です。
夕方には水やりです。これは蚊との闘いです。
生活の中心が畑仕事になっています。。。

動物を飼っているように「散歩」は必要ありませんが、畑仕事のやることの多さにびっくりです。
芝を植えましたが、毎週刈り込まないとすぐに伸びます。
見た目をきれいにしようと思えば、雑草とも闘いです。
大量の雨が降れば、今度は排水を気にしなければなりません。

自分の努力がストレートに見えるだけに手が抜けません。
そうこうしているうちに、おそらくこれまでの人生で一番真っ黒になっています。

みなさんも、熱射病には要注意ですよ。

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小谷元彦展のレセプション

7月21日、高松市美術館にてこの夏開催される「小谷元彦展」の内覧会が開かれました。

その第二部、参加者によるレセプションを当財団が担当させて頂きました。

初スピーチ。声のでかさは人一倍ですから目立ったことは間違いありませんが、その後の反応は。。。本来の目的では、あまり目立てなかったようです。
美術を通してこどもたちを育てたい、という思いを、地道に伝えて行きたいものです。

小谷さんとお話をしていて、「虚と実」というキーワードが出てきました。
私は人に会う際には予備知識を入れないことにしています。あえて調べずにお話を聞くと、新鮮な感動があります。へえ、なるほど、という納得があります。
二つを意識していらっしゃるのかと思ったら、その間。どっちでもない微妙なバランスを求めているそうで、実際2元に分けたくないと仰っていました。
もやもやとした、善でも悪でもないもの。ギリシャ神話のような葛藤の多い世界。話していて、そういった哲学的なものを感じました。

やはり作家と話をするのはいいですね。たくさんの発見があります。

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みる、という行為

7月10日、京都造形芸術大学のオープンキャンバスに合わせて行われた講演に参加させて頂きました。

「見るということの諸相」というタイトルで、大阪大学教授の佐藤宏道先生が脳科学の話とアンドリューワイエスの作品を使って、大学一年生にわかりやすい講話と実習を行いました。

お話を伺っていて、印象に残った点を紹介します。

「人は概念で理解して見ようとする」そうです。
ということは、概念で(経験上)理解できない物体は、自分の概念でとらえられた形として見える、ということでしょう。
これは素早い判断につながる反面、誤解を生むこともあるでしょう。
自分が「こうだ」と思った見え方が、決してその本質をとらえているわけではないとの示唆を含んでいるのだと感じました。

「人間の視覚はりんかくに敏感である」というお話も大変興味深いものがあります。
輪郭とは、明るさの違いがある境界のことです。
ご存知の通り、輪郭は世の中に存在しませんが、輪郭線で描かれる漫画には輪郭が必要です。この、境目を見つけることに敏感である、という言葉だけを取り上げてみれば、実は人と人とのコミュニケーションにもつながってきます。
密接なつながりの中では境界は目立ちませんが、対立すると目立つということでしょう。

この講演を企画された福先生のお話でも「佐藤先生の講演は、「見る」にとどまらない」とおっしゃっておりました。つまり、美術作品を見るときにも同様のことが言えるということです。

疑問をもち、違いに気づき、様々な価値に心を閉ざすことなく自分を再構築する…
絵を鑑賞する中にも、こういった育ちが期待できるということです。

人は経験的に手に入れ、理解した気になっている知識も多いのですが、こうやって系統立てて整理される研究者がいるからこそ、新たな気づきにも出会えます。
ありがたいことです。

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