朝晩が寒くても、確実に春はやってきます。
そして、暖かい日差しが注ぐ時間が長くなり、ちょっと暑いよというぐらいに。
この大根は6月の収穫祭で調理する予定です。でも気候によっては早くとう立ちするかもしれないので、4月まきができる場所も確保します。
季節モノですから、なかなか安定的な収穫はできませんが、少しでも長く収穫を楽しめること。
これを今年の目標にしたいと思っています。
朝晩が寒くても、確実に春はやってきます。
そして、暖かい日差しが注ぐ時間が長くなり、ちょっと暑いよというぐらいに。
この大根は6月の収穫祭で調理する予定です。でも気候によっては早くとう立ちするかもしれないので、4月まきができる場所も確保します。
季節モノですから、なかなか安定的な収穫はできませんが、少しでも長く収穫を楽しめること。
これを今年の目標にしたいと思っています。
この2年、大学生の講義を担当させて頂きました。
その学生レポートを評価しないといけないのですが、さて、どうやって分析判断しようかと考えました。
そこでへそ思考を使ってみました。
学生が提出したこのレポートでは、どんな領域を見つめているかを探ったのです。
たとえば、
自分の気持ちや相手の思いなどをいっぱい書いている学生はこころを重点的に見つめています。
自分の経験やどこかで読んで共感した企画などを書いている学生は出来事を重点的に見つめています。
自分の知りうる理論や既知のシステムなどを書いている学生は仕組みを重点的に見つめています。
なかなかこの3つをバランスよく書いている学生は少なく、バランスが良い学生のレポートだと読んでいても学生の考え方が明確であることに気づきました。
そこで学生に、そのレポートを基にして、「あなたは何処にこだわりたいのか」を改めて問い直すきっかけとなりました。
追究するか、別の領域を俯瞰するかですね。
どちらにしても、結局はこの3つを考えていかないと先に進めないことが見えてきます。
学生がレポートに込めた「こころ」や、分析的にみるための「仕組み」など、へそ思考が思わぬところで活用できることがわかった「出来事」でした。
へそ思考とは、ことづくりを見つめる視点です。
こころ(Heart)
出来事(Event)
仕組み(Structure)
に、まずは自分が該当するであろう言葉を入れてみて自分や周囲を俯瞰し、それらの関係性を探り、中央にある意味や価値を見つめる思考法です。
これは公式と同じですから、意味や価値の部分に自分が求めたい内容を入れてみる方法もあります。つまり中から外へ思考を広げるのです。
下世話な話ですが、中央の意味や価値の部分を「お金にあふれた生活」としてみましょう。
それのどこが「意味や価値」か、と言われるかも知れませんね。
自分の目指したい方向、そこに意味や価値があるからそこに進みたいと考えてみてください。
そうすると,本当に自分が探している意味や価値がそこにあるのだろうかと,改めて問い直すきっかけにもなります。
ですから、あまり深く考えずに中央に自分が望む姿を入れてみると良いでしょう。
さて、話を戻します。
お金にあふれた生活に必要な「こころ」とはどんな心情なのでしょう。
お金にあふれた生活に必要な「出来事」とはどんな状態なのでしょう。
お金にあふれた生活に必要な「仕組み」とはどんな形態なのでしょう。
この3つの方向から分析的に見つめてみるのです。
そして,こころと出来事の組み合わせで想像を広げ,こころと仕組みの組み合わせで目指す理想を鑑み,出来事と仕組みで効率や構造を分析してみましょう。
そうするとお金にあふれた生活を送るために、今の自分に不足しているところや、自分には合わないところも見えて来ます。
それでも進みたいのであれば、そこを上手に克服するしかけを用いる必要があります。
こういう逆説的な使い方もできますので、一度お試しになってくださいね。
>言葉にはあなたが意味を与える
よく「〇〇とは何か」という
ビジネス記事を見かけます。
いろんな見方考え方があるのだと、その都度驚きやら共感やらで満たされます。
言葉(対象)の解釈は人それぞれ。
今回はそれをへそ思考で見つめてみましょう。
たとえば無意識とは、で考えてみると
仕組み−無意識の脳科学的などの視点
出来事−具体的な様子などの視点
こころ−心情や感情などからの視点
の視点が大きく3つあります。
そして、
・仕組みと出来事
・出来事とこころ
・こころと仕組み
のつながり(関係性)で見つめます。
3つの視点とその組み合わせ。
大きく分けると、単に無意識とは?と問われた場合の受け取り方や答え方などには、へそ思考で見つめると6パターンあることになります。
具体的にはさらに細分化されて意見が色々に分かれるでしょう。
ですから、〇〇とは何か?などとわかった風に話していても、相手は別の視点で考えていて、「そうじゃないのになぁ」と感じることもあるでしょう。
そんな時、相手が見つめている方向、そして自分が見つめている方向を分析的に見つめると、相手との共通点や相違点が見えてきます。
そんな理解を広げる未来志向のひとつの方向として、へそ思考をお使い頂けると嬉しいです。
ことづくりは関係性の哲学です。
何とどのように関わり、そこで生じる作用を意識し、さらに高まる方向を見つめます。
仕組み
出来事
こころ
この3つのどれにみなさんはこだわりがあるでしょうか。
熱心な研究者がいました。彼は机上で理論を複雑に絡み合わせてひとつの理論を編み上げました。
熱心な実践家がいました。彼女は猪突猛進を信条として、とにかくやって結果を出して、それを経験と実績にしていました。
熱心な思想家がいました。その方は人の気持ちに寄り添い、感覚や感情に訴える言葉を編み出しました。
どれも居そうですよね。
上記はへそ思考を基に適当に作文した「人となり」ですが、こういう方は遅かれ早かれ頭打ちの時期を迎えます。そして悩みます。何が足らないんだろうと。
その時、これを用いてください。
ひとつの領域に打ち込むのはとてもエネルギーが必要です。微妙な差異にも心を砕きつつ、根気と情熱に支えられていないと難しいでしょう。
そんな方にこそ、他の領域を取り込むことが変化を生み出すきっかけとなります。こんな見方や考え方などがまだあったんだ、と感じられるでしょう。
表題のように日常的に3つの領域をバランスよく取り込む、トータルコーディネートできる人である必要はありません。どこかにこだわりがあるのはとても素晴らしいことです。
ただし、たまには自分や周りを俯瞰して、自分が普段見つめていない方向も見つめてみることも忘れないでください。
そのための思考法です。
先日、良いフレーズを見つけました。
「菜園の哲学」です。
今回はその「菜園の哲学」の基礎となる考えかたであるへそ思考のお話を簡単に書いてみます。
毎日畑仕事をしながら、たまに書物を読む程度の生活で、なんとなくまとまって来た説明原理的な「こと」です。
これが正しいとか間違っているとかは、実際私にはまだわかりません。
でも、これを二項対立的に正しいとか間違っていると言おうとしても、このへそ思考の原理からは逃れることができないので不思議です。
どんな宗教も、カリスマコンサルタントも、無形文化伝承者も。そしてこのへそ思考も。
さて、話を始めましょう。
へそ思考はいろんな「こと」をシンプルに、そして注意深く考えるきっかけを見つめる思考法です。
好むと好まざるに関わらず、世界は仕組みと出来事の両輪で動いています。
・誰かが見つけた理論や工法、遺伝子などに組み込まれたり、まだ認知や理解につながっていない、この世界に内在するであろう仕組み。
・そして私たちが抗うことのできない時間軸の中での生活に起こる、様々な状態が生まれたり変化したりするなどの出来事。
それらを感覚や感情を伴って見つめ、関わったり判断したりするあなたのこころ。
これら3つが交わるところにできる様々なつながり。そして全てが重なるところにある意味や価値。
実に単純ですが、初めての方にはわかりにくいようです。
何故なら、これで自分や周囲を見つめても決して既定の答えがないのですから。
答えは誰かが示してくれるのでも、与えてくれるのでもなく、自分で導くことが大切なのです。
だから面倒くさくもあり、しんどくなることもあります。
でも、人生ってそんなことの繰り返しなんじゃないでしょうか。
そのために、公式のようなモノ(対象)を通してコト(対象や作用、意識の様子など)をみつめる。
それがへそ思考です。
3つの変数に、例えば同じ内容を記述したとしても、中央の意味や価値が同じになるとは限りません。
そこが記述のマジックとも言えますが、書かれた文字をどう解釈するかも人によって違うからです。
どこかに答えが、真理があるからそれを探そうとする。そういう人には悶々とするようです。
たとえ答えが目の前にあっても、自分自身がそれを認め、判断しないと何も動きません。某CMに出て来る「やる気スイッチ」のように、スイッチは常にあなたの内にあるのですから。
そこに目を向けずに自分の外にある答えを探すより、今の自分の中にあることを見つめ、一歩ずつ前に進みながら改善を繰り返すことで答えを追い求める。
そのためのひとつのきっかけに、へそ思考をお使い頂けると嬉しいです。
美術教育の目的が、ものづくりの技能向上だけではないことが知られるようになってきましたが、認知度はまだまだ低いように感じる場面が多々あります。
今回は美術に限らず、授業の際に先生がたがつくられる指導案をもとに「ことづくり」の立場から見つめてみましょう。
今回はへそ思考をこう使いました。
仕組み−題材観
出来事−指導観
こころ−児童観(生徒観)
必ずしも上記のようにきっちり線引きできるわけでもありませんし、する必要もありません。
考えかたのひとつの方向です。
なにしろ変数を変えるとすべてが変わる公式ですからね。
題材観を書いているのに児童観や指導観が重複しがちな方は、これを手がかりにしてみるのも良いかも知れませんね。
ここには美術教育とは無関係のお仕事をしておられる方もいらっしゃるので、超簡単に。
題材観(ここでは「仕組み」)は、授業で用いる素材や道具など特徴をもとに色やかたち、組み合わせなどを検討した部分です。
指導観(ここでは「出来事」)は、想定される子供の活動内容などです。
児童観(ここでは「こころ」)は、その際に生じるであろう児童の感覚や心情などの動きです。
その3つを方法論(授業のしかけなど)でつなげる中心に、その先生が意図する授業の意味や価値があります。
例えば、こう考えてみましょう。
仕組みと出来事は活動で生み出すかたちを見つめています。
こころと出来事は活動で起きるプロセスを見つめています。
こころと仕組みは活動の中で目指したい方向を見つめています。
こう考えると、指導案の左側で先生がたはことづくりを記述しているんですね。
それも時間をかけて、綿密に。
見る。感じる。考える。交わすなど、なんらかの「対象」と関わる時、人はことづくりをしています。
今一度、どんなことをさせたいのかやどこを重視したいのかなどを考えるきっかけに、へそ思考をお使い頂けると嬉しいです。
先日、ネットで「断捨離」の話題を読みました。
ものに溢れる生活で不要なものを取り除くのはひとつの方向です。
でも、本当に他に方法はないのでしょうか。
旅行に出かけると、小さな陶器やガラスの置物などがおみやげ物売り場にいっぱいあって、とても可愛いですよね。
私も眺めるのは大好きです。
ものを増やすだけでなく、空間を増やす方法もあります。ただし、予算に限りが出て来るので大抵の方は断念します。
今回は、こういったモノから生まれる「こと」をことづくりの視点であるへそ思考で見つめてみましょう。
ことづくりは関係性の哲学とも言えます。
ことづくり生活では、ものを対象と捉えて、それらをつなぐ関係性に注目し、作用を見つめます。
その中でもこだわりたいこと、それを見つけましょう。単体で見るのではなく、つながりで捉えるのです。
要は何と関連づけるか、です。
では、へそ思考で例を見ましょう。
・仕組みー保管の仕方
・出来事ー楽しみ方
・こころー気持ちの生み出し方
今回はこうしてみました。
へそ思考をすでにご存知の方はお分かりでしょうが、当然この内容に決まりはありません。数学の公式のように、一ヶ所変数が変わると全てが変わります。
そして、それぞれの視点を方法論でつなぎます。
少しだけ例示してみましょう。
すぐ二項対立に持ち込む思考では、こうでなければならない、と見てしまいがちですが、そうではありませんので、前もってお伝えしておきますね。
保管の仕方と楽しみ方の関係では、例えば玄関飾りとして年間を彩るモノとして用いるために、一つの箱などの一ヶ所でまとめて管理します。このふたつがつながる方法を探るのです。
出来事とこころの関係では、玄関飾りとしてのテーマ(出来事)を決めます。四季を表すのであれば、その都度の想いを表現できそうなモノを用いて、出来事を演出しましょう。
仕組みと心の関係では、保管の仕方にも、ワクワクするようにします。この場合一ヶ所で保存するかたちが望ましいと思いますので、透明のケースに入れる。ラベリングする。これまでに表現した気持ちなどを写真付きで保管しておきます。
どこかに発表するのも良いでしょう。そうしているうちにいつの間にか、あなたは玄関飾りの名人としてSNSなどで評判になるかも知れません。
そうやって楽しみ方を増やすのです。
それでもパッとしなければ、きっと活用できないでしょう。その時は保留します。保留期間も自分で決めます。
はみ出す量になると、使っていないモノは保留ボックスに片付け、自分で指定した期間内に使わなければ処分しましょう。誰かに譲る、フリマなどで売るなどもあります。
「断捨離」をするにしても、受動的な姿勢では同じことを繰り返すだけです。
やめなくてはいけない。
ではなく、
そうする自分を受け入れる。
自分と向き合う姿勢がなければ、例えば断捨離だって無理かも知れませんよ。
自分を受け入れる姿勢が身につけられれば、方法はいくらでもありますからね。
楽しむ姿勢を大事にして、
自分と周囲を俯瞰してみましょう。
へそ思考を使って、みなさんにとってのプラス思考、未来志向の見方ができることを願っています。
先週の土曜に小麦を収穫しました。
刈り取りは手作業、脱穀は機械での作業を予定していましたが、アクシデント発生。
そのため、全てが手作業となりました。
藁から小麦を分ける脱穀は、最初棒で叩いていましたが効率も悪くて断念。一本一本指でしごいていきます。
この大変な作業からでも気づきがありました。一本の藁から何粒の小麦が採れるか。昨年冬に畝をつくり、一粒ずつ丁寧に穴を開けて埋めたことを思い出します。
粒になったら、トウミの作業です。
これは風圧で籾殻や藁屑を取り除く道具ですが、これすらありません。ですから写真のザルを用いて、工業用扇風機の前で加減を見ながら吹き飛ばしました。
昨日と今日で、2/3ほどが分離できました。
明日以降、写真の残った小麦を分離し、晴れ間に乾燥させていきます。
機械ですると一瞬の作業も、手作業だといつ終わりを迎えるかと心配になりますが、一本終えれば終わりに一歩近づくのですから、なんとかなりそうです。
作業中に、脳裏に「落ち穂拾い」の絵画とそのいきさつが思い浮かびました。
落ち穂拾い、に描かれている人は、貧しい人だとか。
収穫し終わった後、畑に落ちている穂を拾って持ち帰るのは許されていて、収穫に駆り出された人が収穫後に家族の食卓を潤すために、疲れ果てた夕刻にも精を出しているのです。
手で作業をしていると、一粒を愛おしく感じます。
もったいない、と思います。
食を考える時、敢えて手で作業することも大切ですね。
こういう時に、お手伝いして頂ける方がいると嬉しいです。
一緒に農作業をやってみたい方、一度見学にお越しください。
「ともに」野菜を育ててみませんか。
この小麦を何に使うかも現在思案中です。
パンか、ピザか。それともうどん?
みなさんなら、何を作りますか?