先日、良いフレーズを見つけました。
「菜園の哲学」です。
今回はその「菜園の哲学」の基礎となる考えかたであるへそ思考のお話を簡単に書いてみます。
毎日畑仕事をしながら、たまに書物を読む程度の生活で、なんとなくまとまって来た説明原理的な「こと」です。
これが正しいとか間違っているとかは、実際私にはまだわかりません。
でも、これを二項対立的に正しいとか間違っていると言おうとしても、このへそ思考の原理からは逃れることができないので不思議です。
どんな宗教も、カリスマコンサルタントも、無形文化伝承者も。そしてこのへそ思考も。
さて、話を始めましょう。
へそ思考はいろんな「こと」をシンプルに、そして注意深く考えるきっかけを見つめる思考法です。
好むと好まざるに関わらず、世界は仕組みと出来事の両輪で動いています。
・誰かが見つけた理論や工法、遺伝子などに組み込まれたり、まだ認知や理解につながっていない、この世界に内在するであろう仕組み。
・そして私たちが抗うことのできない時間軸の中での生活に起こる、様々な状態が生まれたり変化したりするなどの出来事。
それらを感覚や感情を伴って見つめ、関わったり判断したりするあなたのこころ。
これら3つが交わるところにできる様々なつながり。そして全てが重なるところにある意味や価値。
実に単純ですが、初めての方にはわかりにくいようです。
何故なら、これで自分や周囲を見つめても決して既定の答えがないのですから。
答えは誰かが示してくれるのでも、与えてくれるのでもなく、自分で導くことが大切なのです。
だから面倒くさくもあり、しんどくなることもあります。
でも、人生ってそんなことの繰り返しなんじゃないでしょうか。
そのために、公式のようなモノ(対象)を通してコト(対象や作用、意識の様子など)をみつめる。
それがへそ思考です。
3つの変数に、例えば同じ内容を記述したとしても、中央の意味や価値が同じになるとは限りません。
そこが記述のマジックとも言えますが、書かれた文字をどう解釈するかも人によって違うからです。
どこかに答えが、真理があるからそれを探そうとする。そういう人には悶々とするようです。
たとえ答えが目の前にあっても、自分自身がそれを認め、判断しないと何も動きません。某CMに出て来る「やる気スイッチ」のように、スイッチは常にあなたの内にあるのですから。
そこに目を向けずに自分の外にある答えを探すより、今の自分の中にあることを見つめ、一歩ずつ前に進みながら改善を繰り返すことで答えを追い求める。
そのためのひとつのきっかけに、へそ思考をお使い頂けると嬉しいです。