新年度を迎えました

今日は4/1。新しい年度の幕開けです。

今年度は「隠れ家」オープン5周年を迎えます。また、新たな施設に向けた動きも活性化していきます。

今年度からは法人の事業内容も「ことづくり生活」をより具体化して提案して行く方向で、外部の方と共に活動を展開できるように調整を進めています。

そして新しい取り組みもいっぱい!

当財団の事業は痒いところに手が届くようなサービスの提供ではなく、全国的にも珍しい、気づきやきっかけを提供することに特化しています。

あなたの心が感じ取った「かたち」を自分や家族や友人、そして社会の中でつくること。

それがことづくり生活です。

ひとりひとりが心豊かで充実感を味わえる生活への気づきやきっかけを提供していきますので、これからも応援をよろしくお願いします。

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事実と根拠と解釈と

「事実は小説より奇なり」
先日も国会でのある話題で取り上げられた言葉です。
「真実はいつもひとつ」
これは名探偵コナンでの有名なセリフです。まぁ真実についてはひとつじゃないよという方もいらっしゃいますが。
また、それが本当なのか「根拠を示せ」と糾弾する場面もあったりしますね。

これらはことづくりに欠かせない事柄です。今回はビジネスで多く語られる事実と根拠についてをへそ思考で見つめてみましょう。

ことづくりにおいて、事実(ファクト)は出来事に位置することが多いようです。実際に起きたことなどの現象や経験から得た情報です。

根拠(エビデンス)は仕組みに位置することが多いようです。理論や構造から得た情報です。

ここまでをことづくりの視点(へそ思考)から見つめると、これだけでは「こころ」に位置する情報が欠けていることがわかります。

事実と根拠だけを取り出して議論する場合、いわゆる客観性を重視するので「こころ」を介在させずに議論しているのでしょうから、当然と言えるかも知れません。
しかしながら、これまた当然のことですが議論の主体となる議論者は主観をもっています。

つまり主観を内に秘めたまま客観を語るという、非常にアクロバティックな活動をしていることになります。
ですから、意見のすり合わせがうまくいかないと、時に白熱し、興奮し、義憤にかられ、やけになるなどすると感情が芽を出します。
そうなると純然とした客観性は損なわれていきます。

ですから最初から主観が入るという前提をもっておけば「まぁそう考えることもあるかな」と、気持ちに少し余裕ができるのではないでしょうか。

それが「解釈」です。
英語ではインタプリタとなるのでしょうか、英語は苦手なので間違えているかもしれませんが。

・出来事ー事実(ファクト)
・仕組みー根拠(エビデンス)
・こころー解釈(インタプリタ)

事実や根拠だけをことさらに取り上げても全く解決に向かわないことが多いのではないでしょうか。
そこに「どう解釈するか」を加えることで、より分析的にモノゴトを見つめることができるのではと、私は考えています。

人と議論になった時こそ、この解釈を加えた関係性を検討し、お互いの考えを見つめることで、不毛な議論になりがちな摩擦などを避けることも可能になるのではないでしょうか。

このような、ことづくりの考え方が皆様に少しでもお役に立てれば幸いです。

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枝豆が発芽しました

3月の上旬に育苗を始めた枝豆が芽を出しました。

枝豆の発芽には15〜20度の地温が必要だそうです。本来はまだ発芽には至らない季節です。

今年は育苗用トレーにかぶせるだけのプラスチック製の温室キットを見つけましたので、早速実験を始めました。

発芽するまでは室内で大事に管理していましたので、順調に発芽してホッとしています。
今日は外気温が16度になっていますので、さらに10株分を用意しました。

昨年は枝豆を思ったように収穫できなかったので、今年は2本立ちにして、もう少し追肥をしっかりして、夏のビールを楽しみにできるように挑戦しようと思っています。

茹でたての枝豆とジョッキに注いだビール。
想像しただけで元気が出ますね^_^

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受け入れると受け止める

この二つの言葉。人生相談だけでなく、人との関わり方全般に絡むことですから、ビジネスの話題にもよく登場します。

もちろんことづくりにも、よく登場する言葉です。

この表現を、私たちはどのように使い分けると良いのでしょうか。

・受け入れる(アクセプト)とは、自分の内に価値観などを取り込むことです。
飲み込む、一体化するなど、意見や行動を自分と一致させることをさしています。

・受け止める(テイク)とは、一歩前でキャッチすることです。
自分の価値観や意見は別にあるけど、他者や自分の外にある現象などを通して得た情報などを受け取ることをさしています。

そうすると、受け入れるには、まずは一旦受け止める、という行為が先に必要になりそうですね。
私たちは神様ではありませんから、何でもかんでも受け入れることはできません。

では、どうして神様は全てを受け入れられると思うのでしょう。
どうやらそこには「人格」という見えない枠で囲われた考え方があるようです。
超越論的な「人格」がそれを可能にしていると、私たちが勝手に解釈しているとも言えそうです。

話を戻しましょう。

自分が納得できたことは受け入れられるでしょうが、納得できなくても同意しないといけない場合などは受け止めていると言えそうです。

人が苦しくなるのは、たいてい納得できないことまでを「受け入れよう」とするからです。
受け入れてしまうと、それに疑問を抱かずに済むので精神的な負担がなくなるからです。

さて、今回は何を受け入れ、何を受け止めるかに限定しますが、簡単な分け方をご紹介します。

・受け入れるのは自身の内に必要なこと。
・受け止めるのは自身の外の世界のこと。

自分をありのまま受け入れることをしないと、見たくないことから目を背けがちになります。
かといって、自分の嫌な面まで受け入れるのは結構苦しいことでもありますが。

また、いちいち自分とは異なる価値意識などを受け入れていると、自分が何者かまで分からなくなります。

ですから、受け入れるのは自分のこと限定で、自分が必要と思うことだけ。
それ以外のことは全て受け止める、と考えてみてはいかがでしょうか。
必要だと感じた時、はじめて受け入れると良いんです。自分自身のことであっても。。。

自分らしさって。
自分の想いって。
自分の理想って。

自分の立ち位置を見つめるためにも、「受け入れる・受け止める」をちゃんと区別することで、これからの自分がどこに向かおうとしているか(未来志向)を気づくきっかけになるよう願っています。

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思い出が蘇りました

大学院の同期に天目を研究している中国からの留学生、張くんがいました。
彼が大学院を去る時、プレゼントで頂いたお皿を大事に使っていたんですが、落として割ってしまったのです。
とてもショックで捨てることもできずに置いていました。

先週、高知大学の阿部さんが「三角地プロジェクト」(新施設の駐車場と庭をつくるプランを練っている有志グループです)で高松に来た際にお願いしてみました。
以前自分でFBで金継ぎをした器を紹介していたからです。
そして昨日届きました。

現物をみて、ホッとしました。
これからは割れた破片を見て落胆しなくて良いんです。
そうすると素直に思い出が蘇ります。
純粋に、楽しかった思い出が。

特技って素晴らしいことですね。
大切にします。
ありがとうございました。

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「隠れ家」を俯瞰する

少し離れた場所から木蓮を眺めました。

この木は以前の所有者がこの場所に植えた木です。伐採も計画されていましたが、見事な枝ぶりなので残すことに。
そしてシンボルツリーとなりました。

「隠れ家」としてオープンしたことづくりの館では、新春に蝋梅が咲き、梅や杏が咲き、椿が咲く頃に木蓮が咲きます。
そして枝垂桜やつつじなどの咲く季節を迎えます。

こうして季節ごとの彩りを追いかけていると、いつの間にかゴールデンウィークを迎えます。

一年を、さまざまな色やかたちを通して感覚から実感できる日本の気候って本当に素敵ですね。
加えて光や風、土や水のにおいなども。

これからもずっと大切にしたいと感じます。

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乾燥人参に挑戦

3月も下旬を迎え、秋植えの人参もそろそろとう立ちする時期を迎えました。

このまま放置しておくと、人参の中央に緑色の輪っかができます。
これはとう立ちして人参自身が根っこにためた栄養を使って花を咲かせる時に生じるようです。

そこで、まだ食べられる状態のうちに乾燥人参を作ることにしました。

切り干し大根は寒い時期に乾燥した空気の中で干すと保存食として使えることは知っていましたが、人参は初めての経験です。
どんな風になるか、どんな調理ができるか。
これからが楽しみです。

 

 

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かたちのかたち

あなたはどんなかたちが好きですか。服装ひとつとっても、シンプルやゴージャスなど様々ですね。

ところが「かたち」と一言で伝えても、何のどういう状態なかたちなのかはわかりません。
大抵は前後の文脈で伝わりますが、そもそもかたちというのはどんな形状なのでしょうか。

世界の捉え方のひとつとして、人・モノ・コト・場があると言われます。

今回はそれを基に「かたち」を当てはめてみましょう。

人のかたち
モノのかたち
コトのかたち
場のかたち

一般的にかたちと言われると、モノのかたちをイメージするでしょう。
丸い形やとんがった形、柔らかい形や薄っぺらい形。。。

あれ。
なんか不思議な状況が見えてきました。

そうです。
言葉からイメージする関連事項を他の対象に当てはめること(想像力)によって、人やコト、場にも当てはまるのです。

とんがった人や柔らかい人。
丸い場や薄っぺらい場。

見える「かたち」と心で感じる「かたち」があることがわかります。

ことづくりでは、その「かたち」全般を見つめ、あなた自身が目指す未来志向の「かたち」をつくっていく姿勢を大切にしています。

あなたはどんな「かたち」を求めますか?

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仕組みの「かたち」

私たちが暮らす日常には、生物学的、物理学的、工学的な仕組みもありますし、社会学的、哲学的な仕組みもあります。

これを大きく分けると理系・文系なのかも知れませんが、何処にだって「仕組み」はあることはわかります。

仕組みというのは、「何かが構成されている」その根拠を見つめたり、探したりすることで明らかになってくるのでしょう。

気づいたり、発見したり、工夫したり、改良したりなどの根っことなる領域です。

では、「仕組み」とは、真の姿として何処かにあるのでしょうか。

ことづくりの視点で見ると、それは有るような、無いような、非常に曖昧に映るかも知れません。

なぜかと言うと、同じ場面でも使いたい仕組みが人によって違うことがあるからです。
また、たとえどんな立派な仕組みが目の前にあっても、それに気づかず、自覚できずには決して使うことができないからです。

まだ見ぬ仕組みを追い求める人だっています。そのためには、既存の仕組みを手掛かりに進むしかありません。

たとえば「時計が作りたい」いう目的がある時、そのための手段としてバネや電池、アナログやデジタルなどの仕組みを用います。

時を刻むという本質を見つめれば、砂や水や光などだって仕組みとして利用できます。植物の成長過程だって使えそうです。

へそ思考は非常に大きく、大胆に、ざっくりと3つに分けているに過ぎません。
ここで言う「仕組み」とは、それを用いたい人が用いたい仕組みを取り入れるのです。

へそ思考の構図に必要な情報を当てはめると、必ずしも答えが見つかる訳ではありません。望ましい進む方向を見つめるためのひとつの方法です。

大切なことは、あなたにとっての未来志向な心意気。

目の前になにかしら霧が立ち込めた時、あなたが知りうる範囲で自分と周りを見つめるために、どうぞお役立てください。

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ことづくりの作用とは

ことづくりは「こと」のかたちをつくること。

かたちづくりという点では、ものづくりもことづくりも同じです。かたちについては後日に送りましょう。

さて、このブログ記事内には、コトコトといろんなところにコトが登場しますが、「こと」ってなんでしょう?

実はそう考えると「対象化」されてしまって「モノ」化するんです。

モノは静的(スタティック)な状態。
コトは動的(ダイナミック)な状態。

こう考えた方がよい場面が多く現れます。

難しいお話ですが、ことづくりとは動的な状態をつくる、ひとつのかたちづくりの方法です。

ですから答えはありません。
見つけた時点で、すでに別の要因などが重なり、起こり、変容し続けるからです。

ですからこういった状態を、私は「作用」と呼ぶようにしています。

作用ですら「作用とは?」という問いで固定化して動きを止めるので、その時点でモノ化してしまいます。

ですから、ことづくりでは常に「見つめる」と表記するように心がけています。

動き続けるその一時点を見つめて未来志向の思考法へと導く。

それがことづくり生活です。

難しく言うとこうなりますが、何より自分と周りを楽しみ、楽しませ、様々な関わりの中で豊かな日常を送ることが大切ですよね。

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