「ホンモノ」のかたち

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ホンモノか偽モノか。
私がこの話ですぐに思い出すのは鑑定番組でしょうか。価値の違いに雲泥の差があることでも衝撃的ですよね。

例えばこう見てみましょう。バラの花の本物とは実際のバラの木に咲く花ですが、サンタの本物になんて会えません。
なぜなら、そこにはそれぞれの思いを込めた解釈によって生み出されたかたちがあり、それぞれにホンモノだと思うからです。

ここに、モノの視点とコトの視点の違いがありそうですね。

以下は芸術の世界でよく聞く主張です。

「作品はホンモノでないと味わえないことがある」

五感を伴う鑑賞方法があることでも、この主張はわかります。
確かに筆致や陰影、絶妙な色彩や艶やかさ、作品から感じる優しい風や鬼気迫る雰囲気などはポストカードよりもホンモノだからこその味わいです。
これは音楽や演劇の鑑賞でも同じことが言えるでしょう。

「だからホンモノでなくてはならない」
はて。。本当でしょうか。

これは判断者の主観による断定的解釈です。その方の価値基準に基づきますから、そうとも言えますしそうでもないとも言えます。

目が見える人が正確にすべてを把握しているかと言えばそうではないように、本物で味わえる「こと」はあっても、本物でなければ味わえないと断定するのは難しいでしょう。

これを理解して主張する人は限度をわきまえていますが、それが作品鑑賞などの前提と思い込んだ人にはちょっと悩まされます。

この飛躍を許すと三段論法に陥ってしまうからです。
これではホテルは最高級のスイートルームのホンモノじゃないと宿泊のことを云々できないと主張する大富豪のようです。

大多数の方は偽モノよりも、ホンモノが良いと考えますから、良いと言えば反論できないことを逆手に取って自己主張しているように感じてしまうのです。
楽しみ方は人それぞれですからね。

さて、改めて「ホンモノ」を見つめてみましょう。

いつものデジタル大辞泉ですと、

1 にせものや作りものでない、本当のもの。また、本当のこと。「本物の真珠」「本物の情報」

2 見せかけでなく実質を備えていること。本格的であること。「彼の技量は本物だ」

とあります。

では、ホンモノを名乗れるのはどんな状態でしょうか。

例えば「創造者だけが権利を有する状態」と考えると、わかりやすいかもしれません。

ゴッホの絵を模写してもホンモノのゴッホの絵ではありませんが、描いた本人にとっては自分が描いた絵という意味のある、かけがえのないホンモノです。

ダイヤモンドを科学的に分析して炭素を高圧で圧縮し、分子組成を操作しても人造ダイヤモンドと呼び、自然物とは区別します。しかし、人造ダイヤモンドとしてはホンモノです。

この例では、模写や模倣といった元のあるかたちを真似た場合は元から見て偽モノとなります。でも、必ずしも固定された価値観があるわけではありません。

かたちづくりを見つめる立ち位置の違いでホンモノを真似た偽モノもホンモノと呼べる状況が生まれます。そこには「ホンモノの基準は何か」との問いがあり、捉え方は様々だということを表しています。

でもこのままでは、人を騙すことを狙う状態もホンモノです。それも変な話ですから、もう少し縛りを設けてみましょう。

そこで上記を踏まえて、ことづくり的には「あなたと未来志向のあいだに生まれるかたち」をホンモノと呼びたいと考えます。

あなた自身がこれから先を見つめながら、あなたにとってのより良いかたちを求めて試行錯誤したり一喜一憂したりする中で、関わり生まれる全てのかたちはどれもホンモノだと思うのです。

自分自身にとっての「ホンモノ」ってどこにどんなかたちであって、どう見えるのか、どう関われば良いのかなど、一度じっくり想像を広げることを楽しんでみてはいかがでしょうか。
より良い生き方を見つめるきっかけになるはずですよ。

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