あいだの見つめかた1

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【無限ループを避けるとんち力】

「あいだ」について書いている書籍は最近増えた気がします。
というか,私自身が意識して気にかけているからかも知れませんが,調べていくとやっぱりというかたいていというか,現象学的な理論に裏打ちされているようですね。

ここでは内容の重複はありますが,「「あいだ」を意識する」「どっちが先か」「あいだのこと」「あいだの文脈」と来ましたので,その関連です。

さて,「あいだ」を見つめるには固定概念を外し二項対立に陥らない姿勢が大切なのですが、この二項対立回避に向き合うのはなかなかに大変です。

大抵の場合、成長するほどに違いを探すという『比べる』ことが身に染み付くからです。
自他を比べることでアイデンティティを確立するという要素を含んでいます。個性や多様性をまず認識するには,この比べるという行為は人が生きていく上で不可欠な要素です。

かといって『同一視』という,常に同じところばかりを見つめるのもまた「困ったちゃん」になる要素を含んでいます。自分を人間と思っている犬や猫の仕草ってめちゃくちゃ可愛いですよね。でもそれが真実と向き合っている姿かと言われれば,ちょっと違いますよね。

「〇〇しないようにする」という決意は既に二項要素による対立的な判断ですが,これの最たる状況が禁煙に挑む姿勢ではないでしょうか。

今からは想像もつかないと思いますが、20年前の私は1日60本も吸うヘビースモーカーでした。それが今ではタバコの匂いすら嫌いになりました。あ,当財団施設内は全面禁煙ですので、受動喫煙等がご心配な方にも安心してご利用頂けます。

「よくやめられましたね」と言われましたが、実は強く決意して止めたわけではありません。止められると良いなぁ。まぁやれるところまでやってみよう、と気楽なスタートだったのです。

その頃は理由や根拠など深く考えもしなかったのですが、今となってはこの頃から「あいだ」探しをやってたのかなぁと思います。

基準となる指標や目的があれば、それは比較対象となります。軸が定まればその周りが見つめられます。
いわゆるカオス(混沌)状態では光すらないので位置を定められません。その状態で基準を絶対的な存在とするか自分自身を起点にするかが,哲学的な基準指標の設けかたと言われています。理屈っぽく言えば,存在論(「在る」という前提から始まる問いかけ)か認識論(「私が居る」から始まる問いかけ)かの違いですね。

何気ない普段の日常生活においても,この比較は避けられない現実です。
つい比べてしまいますよね。
あの子よりもかっこいいとか、こっちの方がおいしそうとか。

ところが、これまでもお話ししたように「あいだ」には相違点だけでなく共通点もあります。

相違点を見つけるのは簡単ですが、共通点を見つけるのはひと工夫が必要です。
なぜかというと、共通項探しでは相違点探しとは違う視点が必要だからです。これが本質に向かう力を引き出してくれます。

これを簡単に言えば「とんち力」です。

年配の方ならご存知のアニメ「一休さん」のようなお話です。例えば「この橋渡るべからず」との札を見て、端ではなく真ん中を歩いたというアレです。

漫談の謎かけもそうですね「〜と掛けて〇〇と解く。そのココロは?」って言うヤツです。これは共通項探しの楽しい練習法のひとつです。

一見「バカげたこと」に思えても大事な見方考え方感じ方があります。それが困難を克服する突破口になる場合もあります。
美術の世界でも概念くずしとも呼ばれるこの手法が、あいだのあいだを問い続ける無限ループを回避します。

相違点としてのあいだ探しには、【常にその間のあいだに何かがあるという問いがつきまとう】からです。ところが共通項を見つめると、ほんの少しでも同等の本質(意味や価値など)が認められますから、その間を探す無限ループを避けるお手伝いができるのです。

これが共通項探しの最も重要なポイントです。

無限ループの探究は自然科学系の学者のみなさんにお任せして,私たち普通の人々が心豊かに日常生活を送るためには,無限ループに無用なエネルギーを注ぐことなく共通項をより広げたり深めたりする方向を探ることによって,多様な人々が活きる社会の形成につながるのではないでしょうか。

続きはまた後日。

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