先日の「不便益が見つめる先」の中では、不便益を考える上で自覚性と主体性が大切という話をしました。
今回はそこをもう少し掘り下げてみましょう。
不便という概念は、自覚を伴う認知判断が必要です。
仮に無意識行動のひとつとするなら知覚した行動ではないくなりますので、不便も認知できないことになりますから。
これは「便利」でも同じ理屈が適用されます。
不便益とは、不便を見つめる比較対象や関連作用が必要な行動様式です。
このあたりはこれまでにも述べました。
牛車の例をもう一度取り上げてみましょう。
そこには「比較対象よりも時間の消費量が多い」という効率(出来事と仕組みのあいだ:「機能」)に対する消極的要件(ネガティヴファクター)がありました。
日々忙しく移動しているビジネスマンが牛車を選択する必然性はありません。
ただし、敢えて時間的余裕を創出したい場合は異なります。
では、それはどういった状態なのでしょう。
これは「出来事」の領域にある、事象(フェノメノン)の中の過程(プロセス)を見つめているという説明も出来ます。
その認識の根っこにある「事態の背景」については以前お話ししました。
・飛行機という乗り物は速くて便利です。しかし乗り換えや保安検査場などが大変で面倒です。ですから鉄道を選択します。
・携帯電話はいつでも連絡が取れて便利です。しかし常に監視されるような感覚になって迷惑です。ですから持たない選択をします。
これら選択肢の内にある過程(プロセス)の内に、益の要素があるとも考えられます。
すなわち、不便益とは様々なシチュエーションが想定可能な普遍的性質に対して等しく意味や価値が固定されているわけではなく、判断する者の見つめかたに左右されることを意味します。
以前も必然性について述べました。
不便とは必然性ではなく、『あなたの必要性』から生まれる「こと」です。
どこかに必然性(客観性)がある、と考えている間は、価値観の相違からくる解釈の相違を克服することは難しいでしょう。
ところが,見つめる人の必要性から生まれるとなれば、非常に自然でわかりやすくなります。
それは見つめる人の主観から導かれるのですから、心理学的な思考の流れも明確になるからです。
そこには主観同士をつなぐ「間主観」という捉え方が大事です。
そのお話はいずれ機会があれば。
不便益は誰かに与えられる「こと」ではなく、あなたの中で沸き起こる「こと」。
あなたにとっての成長を促す「必要性」。
それを操るには自覚性と主体性が欠かせない、となるのです。
学習の仕組みとしての「最近接領域の発達」で有名なロシアの心理学者ウィゴツキーは、発達に必要な要件として自覚性と随意性を挙げたそうです。
随意性とは、既成概念に縛られずに自由にモノやコトの関係性を探る性質です。
思い込みやこだわりに固執せず、異なる価値観や違う視点で自由に自発的に様々なことを見つめたり取り入れたり、組み上げたりなどをする姿勢です。
不便か便利かという二項対立的な比較検証は、不便益を楽しむ上であまり重要ではありません。
結果として、比較対象の状態よりも楽しめていれば構わないのですから。
『遊びゴコロ ー ワクワクしながら楽しむこと』
それは自分自身のこころを広く開くためのポジティブファクター(積極的要件)です。
そのためには、随意性(思い込みなどの縛りなく自由に発想構想を広げる性質)が、ことづくりにも、不便益にも、とても大切なことだと思うのです。