問題に直面したとき、人はどうやって解決を図るかを懸命に考えます。
問題を把握し、解決に向けた手立てを実行して、解決を導く。
それはそうですよね。
放置したままで改善への蓋然性(見込み)などは把握しようがありませんし。
その方策(思考サイクルなど)は、PDCAなどいろんな理論などの「かたち」で取り上げられています。
でも、一番難しいのは「人それぞれ」なモチベーションの維持です。やらなきゃいけないことややるべきこと、やりかたなどは十分に解ってはいるけど続かない。いわゆる「三日坊主」に付ける薬があるのかと言われると、「人それぞれ」な部分が大きいのでなかなか難しいですよね。
これまでにも書きましたが、どんな「こと」にも3つの意味があります。
「無意味の意味」も、実はこの3つから見つめることが出来るのですが、今回は触れません。
さて、とらえどころを多くみせるのは、情動的な話術でよく用いられます。
物事をわかりにくくした方が、説明者の意図通りに運ぶことが出来るからです。
内容は本当に大したことでなくても、扇情的な言葉と懐柔的な言葉を巧みに挟み込んで人の「こころ」を籠絡させるのにのは、論理的な整合性がなくっても大丈夫です。
相手が信じてくれる「こと」。これが最も大事な結果なのですから。
人は自分の価値観を揺るがされたり迷わされたりすると、相手の述べる「確信」を盲信してしまう傾向がありますから、「こころ」から攻めるのが一番です。
良い面でも働きます。
情熱的に話をしている人に対して可能性に賭けてみようと決断する投資者のような関係性や、販売店で説明する営業マンの消費者側の生活スタイルに合わせた提案などがそうですよね。
そんなときにも、H.E.S.O.思考は自分自身を俯瞰させてくれます。
今、この人が話している「こと」はどこなんだろうと。
その時に役立つのが、へそ思考の応用編となる「事実と根拠と解釈と」です。
「かたちを解釈する」でもお話ししましたね。
「事実」だと述べていることであっても、その人の「解釈」を誤認させられている場合もあります。
例えば「昨晩、夢枕に神様が現れた」などです。これはその人が『解釈したという出来事』が「事実」なのであって、「ほんとう」かどうかなどはその人の主観的判断です。
この、主観的判断を「事実」認定して既成化する状況は、日常生活の中で非常に多く起こります。
でも、どんな時であっても、いかに「すり合わせ」ができるかが大切です。
あなたの考えと合致するならそれで良いでしょうし、違うなら、異なる意見同士をいかにすり合わせられるかどうかです。
結果としてどちらかに絞らなくてはならない場合もありますし、合わせ技を考案する場合もありますし、全く違う方向を引き出す場合もあるでしょう。
自分自身の意図とは異なって、相手の意味や価値に無自覚に飲まれることにだけはならないような俯瞰の姿勢が、これからの多様な意味や価値をもつ社会の中で生活するためにも、個を大切にする社会では必要なのだと感じています。