かたちを「解釈」する

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当初、「誰でもできる理論武装」という刺激的なテーマにしていましたが、やっぱりことづくりには似合わないですね。

理論武装と言うと、なにやらいかめしい甲冑でもまとった印象を受けるでしょう。でも、同じ論理力を用いても、相手を理解すると言えば、急に柔らかくて優しくなります。

理論武装は相手をやっつけるため。
理解するは相手を受け止めるため。
こう感じますよね。

さて、理解する。と一言で表しても、誰の何をどのように理解するのかなど、余りに広い範囲なのでどこから取り掛かったら良いかわからないのではないでしょうか。

世間話なら、内容正確に理解しなくても雑談の中で訂正したり付け加えたりできますし、そもそもズレてたところでさほど問題はありません。その場が楽しければ良いのですから。
ところが議論になると精度の高い理解力を求められます。相手が言いたいこととこちらが伝えたいことが上手く噛み合わないと議論にならないからです。そのためには正確に議論の内容を把握することが必要になってきます。
そんな時に専門知識が必要な話題と内容に焦点が向けられると、専門的なことを知らない人はチンプンカンプンです。

ですから、どんな時にも使える(かも知れない、いやきっと、使える。と思う)理解に向けた方法としての提案をひとつさせて頂きましょう。

事実と根拠と解釈

相手の話を、単純にこの3つに分けて聞き取るのです。

根っこはへそ思考です。

事実は「出来事」
根拠は「仕組み」
解釈は「こころ」
に対応しています。
これは以前の記事でも書いたので、覚えていらっしゃるかも知れませんね。

だからと言って、いきなり目の前の人が話していることはどこだろう、と理解するのは大変です。

ですからSNSやネットの投稿で言いたいことを書いている人は、この3つのどこが中心になっているんだろう、とのんびりと調べてみると良いですよ。

すると、ああ、この人は自分の解釈に都合がいい仕組みを使っているなとか、出来事と仕組みの往復をしているように見えて実は自分の独自解釈に気づいてないなとか、なんとなく見えてきます。

日常の多くの対話の中で一番大事なことは事実や根拠ではなく、理解に向けた「解釈」ではないかと、私は思うのです。

解釈に注目すれば、違う意見になっても相手を否定せずにすり合わせることも可能になると考えています。だって、事実や根拠が同じでも、解釈が変われば全く違う意味や価値が現れるのですから。

それに、事実と根拠だけだと客観性があるという前提が働きますから、同じ客観的価値を持っている人同士なら問題は起きませんが、これが違うと勝つか負けるかみたいな二項対立が生まれてしまいます。

こころに問う。
こころで見つめる。
こころで向き合う。
。。。

やはり、どんな「かたち」であっても、こころを一番大切にしたいですね。

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