人は何を身にまとうのか2

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前回は、モノだけでなくコトを身にまとう話をしました。今回はもう少しコトについて考えてみましょう。

ことづくり生活では、未来志向という言葉もよく使います。
では、今より向上するために、人はいろんな知識や技術を身にまとうのが良いのでしょうか。

もっと先に進みたい。
それは東京〜大阪間のような物理的な距離ではなくて、自らが思い描いた心の地平の先にある目標とも言えます。

では、どうやってそこに到達するかの手段を取捨選択しながら試行錯誤しつつ先を目指しましょうか?

このままだと「手段と目的」論になりますね。目指すべき「具体的な」方向があって、そこへ向かう「具体的な」方策がある。それが手段と目的です。

これなら内容はともかく、漠然と自分が何を求めているのかわからない人にも「具体性」を見つけなさいと明瞭な指針を示すので、人は分かりやすさを感じるでしょう。

でも、前進不可能な何らかの障害に出会った際に、軌道修正や方向転換はどうしましょう?
具体的に指し示す何かがあるのでしょうか。

私は何か違う気がしています。
手段も目的も、本質を見つめる時の「解釈」によって意味や価値が異なってくるのは以前にもお話ししたことがありました。

「挫折」すらも手段や目的だとする考え方もあります。
でも、それは成功した者が言えることです。渦中の人はそんなに余裕はなくただ迷い苦しんでもがいているのではないでしょうか。

そうなると、落ち込みやすいのは超越的な世界へ。
安心を求める行為へ。
さらには主観を超えた存在があるという前提が必要となります。

そして普遍性とか客観性という言葉に一般的価値があると考えるようになります。なぜならそれに耐えうる知恵を持ち合わせないからです。

自分の価値観を具体的に成就させるために、巧みに人を利用しようとする人をいっぱい見ていると、天邪鬼な私としては利用されない生き方をしたくなります。

選ぶのは常に個人の意味づけや価値づけであって、それが自覚的にできるような投げかけ(提案や提起など)が大切だと思うからこそ、ことづくり生活をみなさんに提案し続けたいと考えています。

人が身にまとう「こと」。

それはきっと知識や経験から得られることだけでなく、対立の中でこそお互いが「受け入れるのではなく、受け止め」ようとする姿勢かな、と思えます。

そうすることで、肯定的試行錯誤である未来志向の姿勢が活きてきます。
これはどんな知識や経験、技能レベルの人でも共通して行える「こころ」の覚悟ではないでしょうか。

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