気がつけば,へそ思考の記事もずいぶんと多くなりました。
そこで,今回ちょっとだけ整理してみましょう。
へそ思考(H.E.S.O. Thinking)は,世の中に起こる様々な事象を大胆に3つの領域に分類するという手法を用いています。学術的にはそれを「現象」とか「事態」と表すことが多いようですが,簡単に言うと「あらゆる状態を捉える思考法」です。
そのコトを表すために考案したへそ思考ですが、例えばそれがモノ(物質的存在)であっても,それは何らかの仕組みによって編み出された素材であったり,何らかの工程を経て現存し得る物体(物質)としての体を整えた現象を確認できたり,それを感覚や態度などで理解しようとするわたしたちのこころであったりします。
私たちは解釈することで世界を把握しようとしますから,その解釈の仕方や思考の原理的な構造がへそ思考のように簡潔かつ明確であれば,様々な方向に転用や応用が可能です。
理論というのはともすれば詳細な部分にまで明確な説明を当て込もうとするが故に、逆に複雑になればなるほど明快さを失って結局は迷宮化してしまい,その複雑さ故に複雑なことを説明している気分になってしまいます。
でも,自然現象というのは複雑なことを自らが理解して,解釈して,遷移させている訳ではありません。非常に「単純」で「厳格」な仕組みによって編み出された現象であって,それは人が理解できる出来ないに関係なく,時間という抗えないうねりの中で推移していくのです。
そのような世界で生きるわたしたちひとりひとりの人生とは,悠久のほんの一瞬です。
その人生で起こる全てを理解しようとすること自体にはとても価値があると思いますが,理解できないという前提に立ってこそ,理解しようとする方向が見えるソクラテス的な「無知の知」の思考が大切です。
そしてその思考は自分の主観から出発すること。
デカルトから始まった「我思う故に我あり」で表された,まずは疑いようのない自分自身の存在から出発して,様々な確認や相互了解をとりつつ,共通項や差異を見つめ,外界と自分との関係を構築していく姿勢を大切にしたいと考えています。
そこにはひとりひとつの物語である「ナラティブ」が生まれます。
人は物語を紡ぐ際に,様々な事態に対して自分なりの意味や価値を見出そうとします。この行為は,その人が求める本質に近づくきっかけとなります。本質とは「対象となる状態それ自体」であり,その構成領域を「こころ・出来事・仕組み」と規定しています。
いろんな言葉を駆使して,自分の周りに起こる事象の解釈幅を広げ,繋がりや関わりを見つけながら自分の内なる世界と外界との理解を深めていこうとする思考法。
それがH.E.S.O. Thinking(へそ思考)です。
これがへそ思考に至る概要説明です。
やっぱりわかりにくいですよね。。。
さて,そのへそ思考を活用するためにテンプレートを準備しました。
前回の「不便を再考する2」で用いたファイルの文字を抜いただけです。
左上と中央には,あなたが見つめたい対象を代入してください。
対象とは、あなたが求めたい意味や価値です。
そして,その対象に関わると想定される「こころ・出来事・仕組み」を自分なりに考えてみるのです。
こころはあなたの感じる心情や態度です。
出来事はあなたが目にする状態(現象)です。
仕組みはそのためのルール(決まり事)として捉えてみてください。
実際に行った例が「不便を再考する2」に載せた4つの図です。
何を代入しても全く問題ありません。
現在直面している恋愛や進学や就職などの「出来事」でも構いませんし,未知の宇宙や幻影やあの世だって構いません。相対性理論などの「仕組み」を中央にはめ込んで,その実用度を探ることにも利用可能です。
いろんな使い方がありますが,基本的にはどのような「対象」であってもこの図の中央に置くことで,その本質を3つの領域から見つめ直すきっかけを得られます。
この思考の原理を用いれば理解不能な勧誘に出会ったり,戸惑う出来事に遭遇したりしても,その状態を中央に投げ入れて冷静に自分を見つめるきっかけを手に入れることが可能です。
こういった行為を客観視と呼ぶ人もいますが,実は客観視ではありません。客観視と呼べばそこに本来はあり得ない普遍性を探す行為が生まれますので,あくまでも主観で見つめるという行為なのだという風に自分の内に留めましょう。
あなたがあなたの価値基準で様々な検討をする,そのための思考法です。
この対象化によって、あなたは何らかの対象の意味や価値を求める行為である「固定化」を試みるわけですから、あなたが選んだ対象は静的要素(スタティック エレメント)に明確化させたい状態に置かれます。
その対象化された「事態」の周囲に配置されるのは「作用」です。
この作用とは動的要素(ダイナミック エレメント)のある状態です。
これは様々な想定が可能な状態ですから、ひとつの意味や価値に縛られるように固定化はされず、流動的な要素としていろんな動きが考えられます。こんなことやあんなことなど思いつく限りのこと以上に、想定外のことも作用として起きます。
例えば「恋愛」の場合を見つめてみましょう。
どんな心情や態度が表れると恋愛と呼べるのでしょうか。
どんな出来事があれば,それは恋愛と呼べるのでしょうか。
そこにはどんな仕組みが働いているのでしょうか。
心情や態度と出来事が組み合わさった時,あなたはどんな対応をするでしょうか。
心情や態度と仕組みが組み合わさった時,あなたはどんな理屈を練るでしょうか。
出来事と仕組みが組み合わさった時,どんな機能的な働きが起こるでしょうか。
これらをあなたなりに理解できる言葉で上記の図に代入していくのです。
対象としたい内容であれば,どんな状態でも可能です。
例えば「PDCAを回す」としてみましょう。
PDCAを回す前提にモチベーションが必要であることはご存じの通りです。そのモチベーションを維持するための「こころ・出来事・仕組み」を自分なりに考えていくのです。
また,周囲に起こった作用を改めて対象化し,中央に置くことも可能です。
そうすることで,思考に深まりが出る場合もありますし,堂々巡りを起こす場所を見つけることも可能です。
このように動的要素と静的要素を入れ替えながら思考することで,人はより深く思考できますし,堂々巡りを起こしますし,時にはひょんなきっかけでアイデアを思いつきます。ですからこれを応用すれば人工知能(AI)に活かせるのでは,と考えるのです。