世界の捉え方と生き方と

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ある本を読んでいて「生き方指南」は哲学書にはないとの記述に出会いました。

意外でしたが納得できるところもあります。

私たちが生きている「世界の捉え方」があって、生き方の分析はあってもこう生きなさいとは書いていないとか。そこには理論的な仕組みである観念論や存在論などが生み出されているそうです。
本質に向かう考え方のコツみたいな感じなのでしょうね。

世界には事実(出来事)を元にした「ほんとう」や「うそ」が入り混じっています。ただし、絶対的な決定打がないので、人は理論に触れて右往左往させられながら生きていると言えるかもしれません。

そういった全ての考え方感じ方などをシンプルに掴んでしまうためにへそ思考を考案しました。

私たちが暮らす生活の場にはモノが存在し、コトという「あらわれ(事態)」がひしめいていると考えます。これは世界の捉え方です。
このような世界に生きる私たちは、生まれると同時に死へ向かっていますから、その時間の過ごし方を志向したいと考えます。これは望ましい生き様を意識した生き方です。

どのような世界に生き、どのように生きるか。
その自分たちの生きている世界の捉え方が多くの哲学書に書かれている、ということらしいです。

では、未来志向の姿勢を活かせる生き方はどこかにあるのかと探してもなかなか出会えません。それは至極当然で、どこかにあるのではなく各個人の価値観に直結するからです。

生き方の具体的内容は一人一人違いますから「これが良い生き方だ」と言ったところで、他の人にとっては性格的や体力的などの多様な要素が加わるために、不適当な場合が往々にして起こります。なにしろ答えは常にその人の中にあるわけですからね。

表題のふたつは別の対象を捉えていますから、その内容説明は違うのが当然ですし、混同しないように気をつけなければいけない点でもあります。

どちらが先とか、どちらが大事かとかの問題ではありません。

世界を捉えた上で生き方を描く人もいるでしょうし、生き方を志向する過程で世界の捉え方を見つける人もいるでしょう。

世界の捉え方が見えても生き方の志向に直結するわけでもありませんし、その逆もまたしかり。

さて、ここまでの話をへそ思考的に見つめてみましょう。

世界の捉え方は枠組みという「仕組み」に向かう姿勢ですし、生き方は答えを探ろうとする過程の「出来事」を志向する姿勢ですから、向かっている方向が違うとわかります。その間には機能があります。これは仕組みから導かれる場合もありますし、出来事から見つかる場合もあります。
そしてそれらを私たちのこころが見つめています。時に感覚的に、時に感情に押し流され、思い込みやこだわりとも向き合いながら本質を探ろうとするのです。

そう。全てはあなたの心がけひとつだということが見えてきました。

たとえどのように世界を捉えても、どのような生き方を描いても、あなたが感じ考えそして行動することに変わりはありません。

答えは決して外にあるのではなく、自分自身の心に問い、自分なりに導き出した結論からかたちづくりの過程に身を置くこと。

あなた自身を大切にするために世界の捉え方があり、指標とする生き方(生き様が活かされるような日常生活)を送ることが大切だと思うのです。

難しいことをいっぱい並べましたが、結局のところ「あなたはあなたを大切にしている」とあなた自身が認め、周囲も認めてくれるような生活を送る姿勢には、きっと今は言葉にできなくても確実に世界を捉えているのでしょうし、人に誇れる生き様だって含まれているのだと思っています。

想いのかたち。
それを俯瞰する大切さ。

ことづくりの姿勢に込めた私の想いを少しはわかって頂けたなら幸いです。

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