「ほんとう」のこと

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その昔、手塚治虫のマンガ「鉄腕アトム」のストーリーで、ロボットは嘘をつけないがアトムは人にとって必要な嘘をつくというシーンがありました。
それが思いやりなんだと幼いながらも記憶したものです。

相手にとって必要な嘘というのがあり、嘘をつくのは時として必要かも知れませんが、実際できないことをできるとは言えませんし、やろうとしても無理が生じます。
(※ 絶対は身にまとえるか)

例えば、可能性の話であれば嘘にはなりません。ガン疾患で闘病中の患者に「大丈夫、良くなるよ」という声かけは可能性の話をしているのですから、決して嘘をついているわけではないですよね。未来志向はどんな時にだって必要ですから。

さて、学問的に「ほんとう」というのは、なかなか難しいようです。
それは「絶対」や「普遍」といった意味合いも含まれてくるからです。

普段の生活であれば、なんとなく「ほんとう」かな?であったとしても何の問題も起きません。人はいちいち確証を得て、解釈して、正確に事態を把握し、理解しながら生きているわけではなく、結構な頻度で曖昧さを受け入れて生活していますから。

それでも「ほんとう」を探る人は哲学者に限らず、世の中にはたくさんいます。
誰が何をどのように捉えて考えてもそれは自由です。自分や周りを生き生きとさせられるのであれば、これ以上素晴らしいことはありません。

でも、どんな風に考えたとしても、これだけは欠かせないコトがあります。

「答えは常にあなたの中にある」

何をどのように捉えて解釈しても、あなた自身が導き出すコトに大切な価値があります。それはすなわちあなた自身が能動的に、主体性をもって生活していることの表れです。

その時々の判断が正解であっても間違いであっても、それはあなたがあなたの中で導き出した答えに沿って判断したこと。
それを喜んでも悔いても良いでしょう。その時々の自分自身の想いと誠実に向き合えて、受け止める心構えがあれば。

そんなことも全部わかっているけど、日常生活では悶々とそこから抜け出せなくなった気持ちになり、誰かの何かの「仕組み」を使って抜け出したくなることも起きます。それも至極当然の心の動きです。

でも、そんな自分を好きでいられること。

人を好きな自分を好きであれ、なんて自己愛の塊みたいですね。
これは人を信じられない、不安に駆られた時に自分に問いかける言葉でもあります。
言い方を変えれば、人の喜びを自分の喜びにできる自分を好きであれ、になるのでしょうか。
更には、自身の喜びを他者の喜びにできる自分を好きであれ、と言い換えればどうでしょうか。

でも、これだけでは自分勝手さからは抜け出せません。
なぜなら自分の価値づけが正しいという考え方で、人に自分の価値観を押し付けることにつながりかねないからです。

「あなたの喜び」とは、「私自身」がいくら考えても正確に把握できないことは、ことづくりでは「ほんとう」のひとつです。
だって、私はあなたではないのですし、あなたも私にはなれません。それが最も根幹の前提です。
まぁ、なった気にはなれます。これはお面の例でお話しした通りです。

ですから、対話を繰り返してお互いの共通了解を増やし、高め合うことが大切になるのです。

その上で、様々な他者のわからないことや理解できないことの中にあっても、相手を想う自分自身を好きでいられるかどうか。自分自身を想う相手の想いには、どのようにすれば応え続けることができるかどうか。

自分のために人を使うような打算的な人たちには、これが欠けていると思うのです。

「ほんとう」とは、どこかにある超越的な存在ではなく、様々な価値観と関わりの中で私たち自身が作り出していく想像性と創造性の必要な『心構え』ではないでしょうか。

ここにも、自己満足で終わるか自己実現を目指すかの違いがあると考えるのですが、さてみなさんはどうお感じでしょうか。

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