命を育み命を奪う活動

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「菜園の哲学」では、時に厳しい現実を突きつけられます。
それは命を育む菜園で、命を奪うことも同時に行われているという事実です。

私たち菜園スタッフは、食べるために野菜を育てています。美味しくて安全な食材を、自分たちとそれを求めて下さる方に提供するためです。

その野菜も命ある生き物です。
私たちは命を奪うことで生きる動物なのです。

もっとも、捉え方によっては植物は動物ではないとか、サプリメントだけを摂取するとか、極端な行動思想に飲み込まれます。
それ自体は悪いことではありませんし、他者に強要したり批判したりすることでもありません。その思想自体が命を弄んでいる訳ではありませんから。

命とは、という問いもへそ思考で見つめることができますが、ここでは単純に「新陳代謝を伴って成長し、子孫を残せる」状態をつくり出す存在を生命としましょう。

菜園では他にも多くの命を奪います。
へそ思考的に言えば「仕組み」の中で起こる「出来事」が、ここには多く詰まっています。

野菜同士に競わせて早く育てるために、最初は1cm間隔で種を蒔き、その後大きく成長させるための「間引き」を行います。
この時遅れたり弱かったりする苗は間引かれます。菜園で生き残ることは無理です。

野菜を育てるために、障害となる植物も、取り除きます。
畝の中や外に生える雑草たちです。雑草と言っても植物の名前はちゃんとあります。春ならスズメのエンドウやレンゲ、ツクシやタンポポなども菜園では雑草です。
風通しが悪いと野菜の成長が遅れたり、病気になったりするので、この作業は大切です。

野菜につく害虫たちの命も奪います。害虫だって名前があります。
菜園で最も困るのは、小さなアブラムシもそうですが、ネキリムシ(蛾の幼虫)が一番困ります。キャベツではアオムシ(モンシロチョウの幼虫)にも悩まされます。

うちはイノシシはやって来ませんが、獣害というのもあります。
可愛いけど一番困るのはモグラ。穴を開けて地面に空洞をいくつもつくります。畑に住むミミズやオケラなどを捕食する訳ですから畑が肥えているという捉え方もできますし、畑を耕す効果もありますが、空洞は野菜たちの根が栄養を吸収する邪魔をします。うちは高台ですから水が抜けて法面が崩壊する危険もはらんできます。

命を育むという行為は、崇高で輝いて見えることもありますが、もうひとつ周りから俯瞰すると、どこに立っているかが見つめられます。

植物でさえ、多くの命を飲み込みます。植物が栄養とする食材は水と太陽による光合成だけではありません。根から無機質の栄養素を取り込みます。それらは確かに鉱石などの組成物もありますが、数多の動植物が命を終えて土に還り無機物になって植物に取り込まれることもまた起こっていることです。

これらをどのように解釈して「こころ」で受け止めるか。
それによって考え方が変わってくるのです。

6月4日は語呂合わせで「虫の日」なんだそうです。
たまには、美味しく頂いている野菜たちの陰で奪った命に対して、お礼を込めて手を合わせます。まぁ、それだけなんですけど、自然の中で生きているという感謝を忘れないためにも、これかも続けたいなぁと思っています。

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