へそ思考は単なる道具

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これまで、ことづくりでのへそ思考をずっとお話しして来ました。

ご理解いただけていない方にも改めてお伝えしますが、へそ思考は説明原理のようであり、公式のようでもある存在です。
ですからこれは正解を表す真理などを導くもの(対象)ではありません。

意味や価値に込められたこと(作用)などを見つめる道具です。

人は悩んだりわからなかったりするとすぐに正解へたどり着きたい願望が頭をもたげます。
数学など難しい問題を解いていて、すぐに回答を確認したくなる人などはこの傾向が強いのでしょう。私自身がこのタイプでした。

でも、日常生活の中でこれが絶対的な正解というのはほとんどありませんよね。

ずーっと遡った原理原則論にでもなれば話は別ですが、いちいち日常生活でそんなことをしていると疲れるし、手間がかかるし、何やってるかわかんなくなって来ます。

まいっか、と保留せざるを得ないことは結構多いのです。これができないと脅迫観念にさいなまれることになってしまいます。

水が飲みたいだけなのに、蛇口とは、命とは、なんて問答をいちいちやってられないですけど、そこに縛られてしまう方も残念ながら一定数いらっしゃるようです。

たとえばキリスト教信者は、自然物の中で十字を見つけた時、そこに意味を込めて受け止めることがあるでしょう。それは観察者である本人がそうしたいからですから、それを辞めなさいと言ったところで仕方ないでしょうね。

異なる宗教観の方にその「解釈」を理解させることは可能でも、納得させることは困難です。それを理解せずに相手に自分の価値を「受け入れ」させようとしても摩擦が生じるだけなことも、これまでお話しして来ました。

何かを見出し、意味を引き出し、自分にとってより良く組み上げる。これを繰り返しながら、人は生活しています。

これが「ことづくりの姿勢」で表している人の未来志向過程のサイクルです。

以前もお話ししましたが、意味や価値は最終的にはあなたが見つめて導き、こころに落とし込みます。

たとえ誰かに諭されたとしても、そこにある意味や価値があなたのこころにストンと落ち込まなければ納得できないでしょうから。

へそ思考は、「ことに向かう」あなたの思考原理を大胆に単純化しているだけです。

とはいえ、いつも言っていることですが、へそ思考自体が答えを導くのではありません。見つめる先を明瞭化してくれるだけです。

ということで、これ(へそ思考)を解釈するのは単純に見えて意外と複雑なんですよね。

これ自体に何らかの意味や価値があるのか、と問われると「あなたが世界を見つめるために役立つ見方を提供する」ことに意味や価値があるんですよ、と言うのが私からの返答となるでしょうか。

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