前回「曖昧さが世界を豊かに」する話をしました。今回は「明確さが世界をリアルに」する話をしてみましょう。
想像力が中心となり様々な解釈が存在する世界が私たちの住む世界ですが、それだけでは日々の衣食住が豊かになるわけではありません。
例えばキノコ。こんな調理をして盛り付けて食べられると良いなぁと妄想するのは自由ですが、毒があるとすれば大変です。
つまり危険を回避して安全安心な生活を送るには、科学的根拠をもった知識が必要で、曖昧さと明確さは両方とも大切だということがわかります。
出来事や仕組みから来る機能や、効果や効能などのような明確な根拠を備えると、現実的な見方が増します。
ぼんやりしている対象に輪郭を与えてくれます。
また別の例を挙げれば、混沌とした世界にみんなが守るべき一定のルールを設けると、それはモラルやマナーと言った社会規範となり、理念をもとに論理性を高めれば法律になり、人を守り縛る役割が与えられます。
明確だからこそ、改善策を立てるにも具体性を伴って理路整然とコトを進められます。
四角四面過ぎるとか、枠ばかり気にし過ぎると言った対象へのこだわりが強過ぎるという批判もまた、明確だからこそ論点が見えるのです。
何事にも一長一短があり、それをどのように解釈するかは人のこころに委ねられています。
ですから曖昧さと明確さはという相対する両輪が必要なんですよね。
ことづくり生活では、その「あいだ」を意識して見つめることを大切にしたいと考えています。
今の社会は、何でも明確化したい方向にばかりエネルギーが注がれている気がします。だからと言って曖昧なままで放置するのが良いと言っているのではありません。
決めつけによる誤解が横行していることを危惧しているのです。だからこそ、現象学で言うところの一旦「保留する」という行為が大事になるのです。
ことの視点から見つめると、世界はひとつではありません。へそ思考的にはどんなコトにも常に3つの方向があります。
そう思って周りを見つめると、ひょっとすれば今まで見えていたけど気づいていなかったことなども含めて、あなたにとって新鮮な発見があらわれ、そこからなにかをかたちづくる行為へと発展するかも知れないですね。