わかることできること

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これ。意外と無自覚で未分化な人が多いのです。
かくいう私自身もそうでした。そこで、どんなところがごっちゃになっていたかを今回は見つめてみましょう。

これは教育の場に対応する表現だと「できた(達成)・わかった(理解)」です。

できるのは、何かを操作して結果を得ることです。例えば、道具や知識を【操作】して起こした作用の先に現れた結果としてのかたちが、自らの希望に沿っていれば「できた」のです。それは自分自身の場合もありますし、自分以外の何者かかも知れないですね。

わかるのは、操作の再現性を知り得たことです。意図した結果を常に導ける、道具や知識の操作による【再現】のかたちに考えが至ったら「わかった」のです。

知識を得ることも「わかった」と言いますが、これも意図した疑問に対応する知識や知恵、つまり問いに対する答えという再現可能な既定経路を知り得たので「わかった」のです。解るとも書くように、理解が及んだ状態を示しています。

どちらにも【技術】が必要で、それは心身の「機能」を活用する必要がありますから、ふたつが重なった領域です。そしてそれらのあらわれに、人は「こころ」で成就感を得ます。

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よく似た、領域の違いを混同することは他でも起こります。例えば、主体が分離していない承認(了承)と成就(達成)の組み合わせです。

わかりやすく言えば「わかった(わかって)・かなえた(かなった)」です。

・仕組みがわかったから実験が成功した。
・あなたの気持ちが一緒だとわかったので付き合うことになった。

これは普通ですよね。でも、これならどうですか。

・あなたをわかってあげたんだから、私の願いを叶えてくれ。
・悩みを聞いてやったんだからちゃんと仕事しろ。

どうですか?
よくありそうでしょ?

わかった。できるでしょ。
できた。わかるでしょ。
っていうロジックですね。

最初のはあなたから私。後のはあなたから私ですね。

そもそも主体が移動しているのですから、前述のように単純にH.E.S.O.思考にあてはめようとしても、はて?と困りますよね。

あなたの「こころ」(自分自身の主観)で相手の「出来事」(他者主観による現象)を取り込んでも、相手を完璧に把握することはできませんから「空想」の域は超えられません。

また、主体が同じでも、わかってもできないことがあります。理論的は解明されていても、現実には非常に難解なこともそうですね。足りない何かがわからないから起こる事態です。

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わかるはず。できるはず。

これは、自分に対する問いかけで用いることにはなんら問題はないんですけど、他者に向かうと全てが空想なのでちょっと問題です。
はず、に込められた思いとは、対象者に対するあなたの望みという点では両方とも一緒ですが、これは把握し得ない他者への要望ですし、前述のように領域が異なります。

理解するのは心です。解釈次第でどんなかたちにも捉えられますから、あなたの理解と相手の理解が一致するには「はず」という曖昧さではなく、願いの実現には綿密なすり合わせが必要です。
そして、達成するのは外界に働きかけて(操作する技術を用いて)生み出すかたちです。

例えば、問いに対する解が「わかった」に続けて、答案用紙に書き込む操作(行為)によって正解すればテストが「できた」と言えますが、どちらにも異なる【操作の技術】が必要ですので「わかったんだからできるでしょ」とか「できるならわかるでしょ」いう言葉には説得力がないですよね。

このように一見よく似た言葉があった場合には、へそ思考に当てはめてみれば見えてくることもありますので、いろいろ試してみてください。

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