解釈は人によって違います。
最も主観的な領域です。
受け取った情報を「こころ」で判断する領域です。
ですから判断主体は個人の「こころ」です。
さて、ことづくりでは以前も、事実と根拠に加えて解釈という図式をお示ししたことがあります。
事実は曲げることができません。根拠はその説明のために人々に知られた理論やルールから導きます。
ところが、解釈だけは受け取り方で全く異なることがあります。
例えば女性と男性とか、上司と部下のように、立場や感じ方などに違いがある考え方をする人の組み合わせです。
「ゆかいスタイル」は会員制です。会員数を制限して運営していますが、約8割が女性です。男性会員もいらっしゃいますが、女性に比べると利用頻度は低くなっています。ここにも女性と男性の「ゆかいスタイル」に対する解釈の違いを感じることがあります。
それは何を求めて「ゆかいスタイル」に参加するかという視点です。これは少々難しくなりますので、もう少し簡単な例示に変えましょう。
例えば洗面所の鏡。多くの男性は見えれば良いと考えるようですが、多くの女性はそもそもどこにどのくらいの大きさでという設置基準もさることながら、綺麗に見えたいとか、姿勢を確認したいとかのように、鏡を使って様々なことを確認できることを望むようです。
でもこれはとても大切なきっかけも提供してくれます。
それは価値観の違いをすり合わせる部分と譲れない部分を見極めて、すり合わせられるところには双方の共通項を探るということです。
対立するために解釈があるのではなく、擦り合わせを知るために解釈を用いるのです。
生活の場面では自分の解釈を他人に押し付ける場面を往往にして見かけます。自分はやってないと思っても相手から見てそう見えれば、それは問題となるのです。
そこにいじめやハラスメントの構図があるわけですが、その話は長くなりますのでいずれまた。