わたしと小鳥と鈴と

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(HP掲載内容の再掲です)

今回は、金子みすゞの詩と向き合ってみましょう。

金子みすゞの詩の中に、有名な「わたしと小鳥と鈴と」があります。
1903年生まれの女性で、本名を金子テルと言います。
26歳という若さで亡くなるまでに、500編もの詩を綴ったと言われています。

この詩は、かなり多くの方が聞いたことがある、と答えます。

まず、この小鳥とすずと私、という詩をご説明します。
非常に短い詩です。

最初に登場するのは私。
自分が手を広げても空を飛ぶことはかなわないけど、小鳥は私のように地面をはやくは走れないよ、と述べます。
次に、自分が体を揺すったところで綺麗な音は出ないけれど、鈴は自分のようにたくさんの歌を知っていて、歌うことはできないでしょ、と述べます。

最後に有名なフレーズが登場します。
「鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。」

これだけの短い詩です。

さて、この詩は何を伝えているのでしょう。
解釈はさまざまです。
いろんな解釈があっていいと思います。
その中で「みんなちがって、みんないい」に対する
私の解釈はこうです。

人と比べても良いけど、
自分には「別の視点から見たときの自分の良さ」がある。
ちゃんと「自分の良さ」を見つめて大事にしよう。
 
つまり「相手の良さを大事にする」が第一義ではない点です。
まずは、自分。自分が起点なのです。
他者ではありません。

この「自分の良さ」への姿勢がとても重要です。
ことづくりの「ともにスタイル」に関わります。

いろいろな場面で、共生を述べている記事や書籍に出会います。
意外と多いのが「相手のために」と述べている意見です。

自分のためだけでは生活できない。
人のために、という視点でビジネスは成功するとか。
相手を理解してあげましょうとか。
それは確かにその通りです。

しかし、これは「自分のため=自分勝手」と解釈しているのではないかと思えます。
自分に「人のため」と言い聞かせることで、自制心を保ち、志向し、対人や社会に貢献しようする姿勢を維持する方法としては理解できます。
でも、ことづくりを進める立場としては「自分を大切に」と伝えたいなと考えています。当然、そこには「俯瞰する」という姿勢が必須なのですが。

ちょっと難しい言い方をすれば、
他者のためと考えているのは、他者でなく自分なのですから、 他者の視点から見てしまうと「他者とは何者か」が明確になりません。
なぜならこれを考えているのは自分自身なのです。
自分の内(価値観)にある「他者」の概念なのです。
自分から見た他者は数限りなく存在していて、逆に見ればあなたの他者は、その人にとっては自分自身。

ですから、私の解釈では金子みすゞの詩を 他者理解に使用することには違和感を感じます。

自己受容こそが、金子みすゞがこの詩に込めかった思いではないでしょうか。
ことづくり生活は,まず自己受容から。
ありのままの自分を受け止めて大切にするところから。
こう考えるとこの詩にとても共感します。

以前、教育現場で他者理解のためにこの詩を用いる授業に出会ったことがありました。

幼い子供は、自分を不完全な存在と認識しているそうです。
ですから、親などの大人に責められると、自分が悪いと考えるとか。
そんな子供の根っこを育てるためには、湧きこぼれるほどの深い愛情、あなたはあなたのままでいいんだよ、と包み込んであげることではないでしょうか。

まずは丸ごと受け止める。
これは大人も同じです。

日常生活においては,いろんな状況が起こります。
例えば,精神的に追い詰められたときに他者理解を要求されるどうでしょう。
不安定な足元で他者理解をし続けるなんて苦しいだけです。
だからこその,まず自己受容から。

「自己決定感、自己有用感、他者受容感」とは、心理学者エドワード・L・デシが提案した自己を伸ばす力の要素ですが、そこに至る道筋の根っこになるのは、やはりあなた自身をまるごと受け止める考え方、そしてそのように振る舞うあなた自身から,他者や社会へのつながりを見つめることではないでしょうか。
(HP掲載は2016/04/26)

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