多様性が向かう先

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不便益も、美術も、最近は社会の中でも登場する「多様性」ということば。
みなさんはどのような印象をおもちでしょうか。

はじめにウィキペディアをのぞいてみましょう。

「多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。」
とあります。

なんだか分かるようでわかりにくい説明ですね。
まぁ、そういう説明の仕方もあるのかも、ということもまた多様性だったりするわけですね。

他の辞書を覗くと、多くの種類や様式や傾向などが同じ場に存在しうる性質を示す用語のようです。

さて、例を挙げてみましょう。

イスラム国という極端に排他的で破壊的な考え方を有する存在があります。
これを多様性と認めるかどうか。
そこにその人の判断基準があり、向かう先があります。

多様性の意味が人に向いていれば、人の生存権までも脅かす存在は認められませんし、人に向いていなければ、主義主張の違いとして認めることができます。

へそ思考から見つめると、生物的な多様性は「仕組み」と「出来事」の関係性から生まれ、「こころ」の領域とは無関係に、生存の原則が保たれています。

ことづくり生活の「菜園の哲学」的に見つめると、コンパニオンプランツやマメ科の根っこにできる根粒菌などにも共生の姿があります。

もっとも、これらは長い時間の流れにおける生存や進化という変化を伴う過程において、「出来事」と「仕組み」の間にある構造や効果などの「機能」で成立しているに過ぎず、「こころ」という主観によって押したり引いたり、すり合わせたりして新しい意味や価値を生み出しているわけではありません。
場合によっては構造や効果や効率などを脇に置いておく必要だってあるのが「こころ」の多様性です。

福祉施設で起きた痛ましい事件で、支援される者の生存権までも否定し、殺人に及んだ犯人を多様性と認めるのかと言われると、「こころ」から見つめれば、人間性や社会性の観点においても問答無用で言語道断となるでしょう。

このようにへそ思考で見つめると、対象によって多様性への答えが変わり、多様な意味や価値を含んでいることがわかります。

では、ことづくり生活における多様性はなんでしょう。

そこには「ともに」が必須です。
共に生きるー「共生」の態度。

これは人間に限定されませんが、ことづくり的にはあなたの「こころ」は絶対に外せない前提です。

それぞれが目指す「かたち」に未来志向の姿勢で向き合う。そして引き出しあい、支え合える態度。そこに向かおうとする覚悟などなど。

「こころ」から見つめる多様性。
ことづくり生活では、ずっと大切にしたい想いのひとつです。

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