見つめる、ということ

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ことづくりでは、見つめるという表現を多用します。

今回は、そこに込めた思いをお話しします。

見るという行為には大きく分けて、認知(自覚あり。意識している状態)と非認知(自覚なし。無意識な状態)があります。

好みの異性はいないかなと、視線の先を探っている時は意識を集中させていますが、多くの人が行き交うカフェテリアでボーっと好きな異性のことを考えている時は目の前に大好きなデザートがあっても意識できていないことがありますよね。
そういう状態のことです。

他には見ているつもり、ということも起きます。

例えば目が不自由な人と違って、目が見える人はいろんなことを正確に把握しているかと言われると、これは怪しくなってくる場合があります。それは、見て、考えて、理解するというプロセスを自覚的に行なっていない場合です。

幼い子供が鳥を描くと4本足になることがあるそうです。
犬や猫なら飼ってるけど鳥は飼っていない場合や犬や猫は触ったことがあって、それと同列として想像した場合などのさまざまな条件が考えられますが、具体的なかたちを実感として持っていないからこそ想像して生み出したかたちです。そこには「きっと〇〇だろう」という思いが詰まっています。

また、「〇〇はこういうものだ」という確信も思索を停止させることにつながります。
そういう時は、「だけど本当なのかな」という思いも大切です。

それをさせてくれる心の動きが「俯瞰する」という姿勢です。

俯瞰とは「見下す(みくだす)」のではなく「見下ろす(みおろす)」行為ですから、様々な視点や意見を考慮しながら全体を「見渡す」時に、私は「見つめる」と表現しています。

一歩引いて、全体をよく見渡す。

実は美術作品をつくるプロセスで学ぶことができます。何故なら、作品づくりには全体と部分の比較がとても大切だからです。そうしないとバランスの悪い作品になってしまいますからね。

俯瞰する、というバランス感覚。

それを身につけるためにも「見つめる」ことを心がけてみてください。

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