第5期の香川県民文化大学スタート

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3月31日、第五期の香川県民文化大学に参加しました。
この日の講師は金田一秀穂先生。金田一京助、春彦と続く国語学者の名門?です。
最近ではよくテレビのクイズ番組等にご出演です。演題は「心地よい日本語」でした。

結論から言うと、とてもわかりやすくて楽しい時間でした。
研究を重ねていくと、難しいことをたくさん知ることになるのですが、それを私たちのような素人の聴衆者にわかりやすく話していただけます。

日本語としての古い形はあるけど、今の時代にその形式は合っているのか。
使い方の間違いは、本当の意味での間違いなのか。どちらでもいいのではないか。
という切り口から入って、「正しい日本語を押しつけるのではなく、人と人が仲良くコミュニケーションする道具」として言語があるべきだとの考えはとても共感できました。

また、言葉を使うということは知識としての学力とは別の「頭の良さ」が必要であるともおっしゃっていました。
その時と場面、自分の立場などから柔軟に言葉は変化するわけですが、答えがきちんと決まっている問題と、答えが決まっていない(より良い答えを導くこと)問題があり、より良い(いわゆるベターな)答えを導く力が大切であり、それをみんなで一緒に探せることだそうです。まさに「まなびあい」に通じるお話でした。

また、敬語についてのウェイトが大きい講演でしたが、終始「心地よい日本語」となるような使い方をすることが大切であるとしていました。
・手段としての敬語の使い方マニュアルはたくさん市販されているが、人とのコミュニケーションは30%が話の内容で、残り70%は環境(話し手の外見や状況など;態度や姿勢)で決まるそうです。その点の例題もとてもわかりやすく話されました。
・また、敬語は目上の人を持ち上げて自分を下に置く行為(へりくだっている)であるが、敬語を使うことで自分の教養の高さを示すバロメーターとして使われることがあるとのことでした。<敬語を使う = 一人前の大人としての証拠>であるため子どもは使わない方がいいそうです。ただし大人になると急に使う必要が出てくるので必死になって覚えないといけない。その緊張感がコミュニケーションの勉強になる、ということでしょうか。
つまり、どんな場面でも敬語を使うことが正しいわけではなく、時と状況、置かれた立場で使わないことが正しい場合もあるというのが、とてもよくわかりました。

言葉が果たす役割、ということで、やはりコミュニケーションという前提を忘れず、丁寧であるかどうかよりも、心が通じているかどうかであり、心が通じる言葉遣いを心がけることが大切であるということでした。

ほかにも、「コンビニことば」など、本当にいろんなお話がありましたが、コミュニケーションの道具としての言葉を使う際には、相手の心に通じるような使い方をするために敬語があるわけで、敬語に使われるのはおかしいのではないか、と言っているような感じを受けました。さすがに深く研究をされている先生のお話(立場からのお話)はとても共感しました。

講演に参加する前はどうでもよかったのですが、著書を購入してサインをいただいてきました。そんな気持ちにさせられるご講演でした。今年も県民文化大学のお話は期待できそうです。

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