01 基本構造と概要

私たちの世界と日々の暮らし

人は効率や便利なモノやコトだけでなく、敢えて非効率で不便なモノやコトへの憧れもあります。好みは環境条件やその人の気質・情緒などでもいろいろ分かれます。移動手段ひとつとっても鉄道や飛行機や歩くコトにもそれぞれ良さ(ポジティブファクター)があり、そこでは目的地へ向かうプロセスがあり,ドラマが起き、思い出が積み重なります。そんな暮らしの中に満ち満ちた、コトの本質を掘り下げた思考法を考案しました。

 へそ思考は簡単な数式や文法基礎のような構造ですが,多層的・並列的に変幻自在な組み合わせができます。世界の「理の中身」とは,研究者を悩ませるほど実に複雑ですが,そこに横たわる最小公倍数を発見してそれらを組み合わせ,日々の暮らしに活用することは私たちにも可能なはずです。これから紹介するへそ思考の3つの領域とは,手軽に組み合わせるパズルのピースだと考えてくだされば嬉しい限りです。

(1) 見えている世界

単純な3つの連環(ひしめく意味の最小単位)

表題のようなことをいきなり言われると「暴論だ」とかみつく人もいますが,世界を単純に色分けしたいのではありません。私たちが確認しうる世界が複雑であるのは疑いようがありませんし,自然の摂理と言われるような科学的にも人類未到の知識が実は単純なのだと言うつもりもありません。
 例えば「複雑」という言葉でくくれば,「世界は複雑である」と一言で説明したような気になります。これは解説を伴わないので説明になっていませんが,少なくとも「世界は単純である」という説明よりも,多くの人が納得して受け入れるのは何故でしょうか。
 それは,この「複雑」と「単純」の単語(記号)を聞いた人が文脈に意味を与えるからです。人はそれぞれに意味を解釈できる生き物ですから,ある程度の人生経験があれば自分なりの意味をすでに内にもっています。また,数々の人生経験を得るなかで苦労を知らない人はきっといないでしょうから,世界は複雑であって欲しいという願望も含まれています。
 まずは「世界が複雑である」という言葉自体がもつ意味の呪縛から解き放たれることから始めましょう。わたしたちが世界を認識するときの道程(ループ)は至って簡単で,たった3つのジャンルに分類される領域を往還しているという一つの法則性があり,どうやらその過程で判断したり無限ループに飲み込まれたりするようなのです。

 

(2) 意味や記号がひしめく世界

その共通項を探る

ここではフッサールとパースを例にしていますが,入念に練られた思想はほぼ的確に「こころ・出来事・仕組み」を組み込んでいるようです。精緻な論理ほど,この状況は顕著です。逆に言えばこの3つのどれかに偏っていたり,明確に分類できていないと説明が複雑化します。
 仮に「○○の90のルール」という表題の本があったとすれば,みなさんは何を期待しますか。「読んだけどよくわからなかった。でも人気の本らしいから間違ってないんだろう」と感じる人もいるでしょう。今よりも幸せに,心が豊かに,心地よい暮らしを送るために役立てられるかの内容に具体を求めた書籍だからこそ,正しいか間違っているかの判定をしたくなることでしょうが,そこに本質はありません。
 大事なのは「何」を具体化したか,です。そこで共通項探しを始めた人なら同様の思考法を閃くかも知れません。へそ思考は,とても単純な集約方法から生まれた思考法ですから,誰が閃いてもおかしくありませんし,コツさえつかめばだれでも使いこなせます。ここでは奥の深さには触れず,簡単な説明だけにしておきます。

(3) 持続可能性を探る

社会が求める「こと」1

現在は「多様性」や「包括性」に加えて「持続可能性」という言葉がトレンドです。この性質を人が追い求めるには物理的・精神的な広さや経済や資源などのエネルギーが必要になるということは,普段からその問題解決法を見せつけられている私たちなら想像が容易でしょう。
 これらがもつ複雑そうな巨大構造もなんのことはない,そこには必ず「こころ・出来事・仕組み」の3項に分けることが出来る,私たちの「想い」が生み出す世界の一端です。
 ここでは6項目を挙げて簡単に述べてみました。

 ○対象概念は常に流動する
 ○「も」の姿勢
 ○広くて深い世界の「あいだ」

 

社会が求める「こと」2

○ほんとうは探して味わう
 ○項の数より本質内容を
 ○本質は概念世界に存在する

 これらに共通する内容は「主体はあなたですよ」という問いかけで,特に目新しいことはありません。人類は歴史を紡ぎながら多くの叡智を得てきましたが,そこでは正しい(と思える)解をとても気にしています。
 多様性を謳いながら常に正しい「こと」を求め,自分の外にある間違った「こと」を排斥する社会行動にまで発展することも多い現代社会に暮らすわたしたちがまず意識しなくてはいけないのは,どんな情報や知識や経験も,人の解釈によって成立するという事実でしょう。
 とある科学者が「科学は嘘をつかないが科学者は嘘をつく」と述べた言葉を印象深く覚えています。どんな事実に出会っても,それを解釈するのは「かくありたい」と願う人の思いなのです。そこでは信じたい「こと」が正解です。心理学ではこれを偏向(バイアス)と呼んでいます。
 だからこそ判断基準を自分に立ち戻して,そこからひとりひとりの判断を尊重し合える,本当の意味での包括的な社会になると良いなと思っています。

(4) ことづくりを支えるへそ思考

「なぞ」に寄り添う1

わたしたちは多くの「なぞ」に囲まれていますが,普段は研究者以外が意識することはありませんし,そもそも「これはなぞだ」と言われなければ気にならないこともたくさんあります。
 例えば「人が呼吸をするは何故か」は教育を受けた私たちなら答えられても,大切に飼っているペットにとっては意味を為しませんが,主人が餌をくれないときはきっと「なぞ」が発生していることでしょう。
 この「なぞ」とは,「なんで? どうして?」という問いかけであり,意味であり「こと」です。どうやら「こと」の意味を考えるためには身の回りの「なぞ」と向き合う必要があるようです。

 ここでは8つの向き合いかたを述べてみました。

 

 

「なぞ」に寄り添う2

ここでは「何」と向き合うか,そのきっかけをつかんでいただけると嬉しいです。

1.あらゆる対象との対話
2.ふたつのあいだを探す
3.手間をかけて丁寧に暮らす
4.曖昧さと明確さの往還
5.価値の問いに置き換える
6.突破力を鍛える
7.セルフを徹底する
8.あなたらしさを常に磨く

「なぞ」に寄り添う3

要約すると,1.では「対話」,2.では「あいだ」,3.は「ひと手間」,4.は「曖昧さ」,5.は「価値意識」,6.は「閃きと応用」,7.は「開拓精神」,8.は「自己啓発」といったところでしょうか。

 自分が自分であることは疑いようがありませんから(これを疑うと自我が崩れますよね),「こころ」の外にある「対象(モノやコトなど)」との関係性をひとつずつ理解するところから始まります。そこでは自分にとって有益かそれとも有害かのように,自分という存在の維持に活用できる対象は大切にします。
 そんな自分と対象には「あいだ」が必ずありますが,そこには物理的精神的な距離感や可能性などが眠っていて,それを引き出すにはあなたの「ひと手間」が欠かせません。
 楽なのは誰かがお膳立てしてくれた中から選ぶ方法ですが,より可能性を広げたい時には,とりあえず何も決まっていないという「曖昧さ」の中から今の「価値意識」とは違った何かを拾い集める必要があります。
 そこでは「閃きと応用」に向かう意識が必要であり,「開拓精神」のような自分の身ひとつで前に進む姿勢が欠かせません。

 

「なぞ」に寄り添う4

上記8項目の流れが,便利や高効率な暮らしかたに慣れた社会生活で置き忘れられた感覚を今一度呼び覚ますことに役立ちそうなら幸いです。

 あなたの「想い」が中心になくて「仕組み」が支配する感覚に満たされていると,周囲に振り回されるだけで疲れてしまいませんか。
 自分らしさとは探せば見つかるモノではありません。なぜなら,常にあなたの中にあってあなたが見つけてくれるのを待っているだけだからです。それを一人旅や地域の人情に出会って見つけたと感じる人も居るでしょう。でもそれは外にあったのではありません。あなたの「解釈」が変わっただけです。最終的に自分を色づけているのは他ならぬ自分自身なのですから。
 その「解釈」に支配されているというコト自体が理解できると,世界はこれまでとは違った見えかたになるでしょう。そしてあなたが心地よく暮らせるようになるなら更に素敵なことです。

 へそ思考はその「解釈」をお手伝いする道具なのです。