ことラボ 研究概要解説

【ことづくりは,ひと手間の時間を味わう活動】

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1 はじめに
2 表題について
3 ひと手間の味わい
4 モノ・コトの思考
5 美術教育の知見から
6 切り分けの難しさ
7 おわりに

※ モノ・コトのとらえかたやことづくり生活という考え方に興味がある方向けに概要をまとめています。どうぞご覧ください。

 


1 はじめに

 モノ・コトを一言で表現すると,モノは「構造」でコトは「反応」です。そして、ものづくりは構造の構築でことづくりは反応の推進となります。ここでは少々面倒くさい全体像をお話しますが,読み終えた時になんとなく理解できたと感じてくだされば幸いです。どうぞご笑覧ください。

 


2 表題について

 モノは物体としての姿が一般的にイメージしやすく「絶対」的な形相をもっていて,コトはモノに基づく(依拠する)反応として対象となるモノの「相対」的な関係性によって把握されます。その両者間において,コトはあらゆるモノと関わり,モノはコトを誘発するという表裏一体の原則があるのです。つまりモノとは 「構造」をもった事物 で,あらゆる枠組み(言語やルールも含む)です。そして,コトとは モノが起こす「反応」 で,枠組みがもたらす様子です。
 
 薬品を例にすると,薬剤を混ぜた際の発熱や変性などを起こす過敏な反応もあれば,長い時間軸で捉えないと分からないかすかな反応もあります。このような反応(コト)をつかむには、対象の様子を積極的かつ入念に観察する態度が求められます。また,広義のモノには嬉しいなどの感情も含む,質量をもたないあらゆる表現上の概念も該当します。そのため突き詰めようとすればするほど難解さが増すのですが、これらの事物を記号と称するとらえかたも学術の世界にはあります。
 
 上記の特徴を踏まえると,ものづくりは要素や条件の集約化がもたらす構造(かたち)が目的となり、ことづくりはあらゆる因子が引き起こす反応を目的とした活動となります。演劇であれば演目がものづくりで,舞台装置や出演者などの相互作用がことづくりです。そして,今まさにその場でどうなるか想像できない, 予測不能な状態を敢えてつくりだす のがことづくりの心髄です。
 
 もっとも,わざわざ予測不能を演出しなくてもひと手間を面倒くさがらずに楽しむ態度があると,偶発性を愉しむゆとりも生まれて時間を味わうという多感覚的な満足感を重視した暮らしかたに近づきます。これが「ことづくりは,ひと手間をかけた時間を味わう活動」とする理由です。

 


3 ひと手間の味わい

 コトは反応という性質上,要因や時間軸などで線引きをしないとまとめられません。ところが,反応の特徴をまとめる行為(構造化)がモノ化を引き起こす厄介な性質もあります。まるで,つかんだ瞬間に消滅する淡雪のようです。この文章のように「述べる」という概念も,前述の発熱や変成という反応の様子につけられた名称も,意味づけがラベリング(構造化)したひとつのモノです。このラベリングによる明確化(構造)は,例えば差別という社会問題(反応)を引き起こす相対的な関係性もあって,その解決は本論のような手間のかかる難問領域だったりします。
 
 さて,このようなモノ・コトの特徴を経営手法に当てはめると、こだわりの商品(構造)とマーケットでの関わり(反応)を考慮するという,一般的な販促プロジェクトの核を構成します。こうした活動には成功や失敗がつきものですが,限りなく失敗をつぶして成功するための策を講じます。また,科学的な実験はことづくりを積み重ねている状態です。要因のしらみつぶし(モノ的)は膨大な時間を要しますし,そこは人類未踏の地ですから何が起こるか(コト的)分かりません。この確認作業という手間を惜しまないからこそ技術革新が進みます。
 
 先に予測不能な状態はことづくりの心髄と述べましたが,新たな気づきや知見につながる間違い発生(エラー)は科学者にも重要で,複数のノーベル賞受賞者の発言によると,そこには思い込みを排してくれる偶発的な出会いがあるようです。また,イノベーションを起こすにはマニュアル(当然)を鵜呑みにせずに想定外の失敗も愉しめる態度が必要です。そこに,反応の推進である新たな意味や価値を創造して次への展開を模索できる可能性が秘められていると考えると,ことづくりはあらゆる業種に不可欠な要素という説明ができます。
 
 また,ガンプラと呼ばれるアニメーションを基にしたプラモデルを例にすると,まず最初に丁寧にマニュアル化された組立説明図があって,そこにひと手間を加える行為によってクオリティの追及というコト的な楽しみかたが増えます。コトはモノに基づきますから,試行錯誤しながら自分の目標に限りなく近づけたり,自分なりの解釈でオリジナリティを加えて新たな価値を生み出す行為もことづくりです。ところが,苦労して発見した方法を丁寧にマニュアル化すると今度はモノ化します。ですから,既定の枠組みに囚われない閃きやアイデアを込めたひと手間を理屈抜きで冒険するような暮らしかたとして,ことづくり生活をお勧めしたいと考えています。
 
 これらに共通する行為を,ひと手間と尊称するか時間の無駄と蔑称するかは人それぞれの価値観に委ねられますが,どちらも判断基準が違うだけの「答え」です。ただ,ことづくりを重視したい立場から言えば,「思考して・試行して・志向する」あそびゴコロを込めたひと手間を味わう時間こそが心を豊かにするのではありませんか,と訴えたいところです。

 


4 モノ・コトの思考

 そもそも世界は因果関係を正確に記述できないカオスな状態です。ですから、わからない前提から入るほうが楽しみの幅が広がります。そして,あらゆるモノ・コトの本質は常に反応の内にあってひとつの枠組みに固定されない状態だと考えると、なんらかの価値観に縛られる必要はないと感じられるはずです。むしろ縛り付けているのは自分自身なんだという自覚も芽生えてきます。
 
 これを「あらゆる枠組みは大切にしつつも,そこに起こる想定外な反応でいじり倒す」とすると、どこか天邪鬼的でお笑い芸人のようなあそびゴコロのある態度になりますが,これを真剣に実践するには様々なモノやコトを分けて考えるスキル(哲学的な思考)が求められます。その思考をモノ・コトで分類すると,モノは枠組みを与えた対象で、コトは対象間の反応なのですから、モノ的思考とは一つにまとめた構造をつくる特徴をもち、コト的思考とは複数を掛け合わせた際の反応を期待する特徴をもちます。
 
 予測できる内容はマニュアル化(モノ化)によって再現可能です。そこでは個性も思考も必要なく,ひたすら効率を追究できます。これを責任や頭を働かせる必要もなくて良いとする人もいますし,工夫の余地が与えられない状況をあなたでなくても良いと言われているようで寂しく感じる人もいますが,これもモノ的思考とコト的思考の違いです。また,社会には仲介(接続)者という職種や立場がありますが、つないだ時の反応を対象となる人やモノなどに委ねる点においてコト的思考の持ち主と呼べます。一方でプロジェクトリーダーのような,多くの人材や条件などを一つにまとめ上げる能力はモノ的思考の持ち主と呼べます。このような思考の特性も踏まえてできる限り簡潔につかむために考え出した本質記述の構造が「へそ思考」です。
 
 例えば「述べる」を国語辞典のように答えても,表現方法を変えているだけで概念の全容がつかめない場合もあります。概念の見方、感じ方、考え方には多様なベクトルがあり、その中でも多感覚的な解釈域は特に厄介です。これら概念の本質を三領域(こころ・出来事・仕組み)による輻輳で読み解くへそ思考についての説明は,また別の機会に委ねます。

 


5 美術教育の知見から

 人が導き出した答えと普遍的な正しさは必ずしも一致しないという原則を忘れると、人はどこかにあるであろう正確無比な答えを求めがちになります。世界は予測不能性に満ちていますから,普遍的な正しさという絶対的な構造の構築よりも相対的な反応の推進を重視する姿勢や態度によって,自分なりの答えを探す問いを仕掛けたり,そこで見つけた答えを愉しむためのアイデアを練ったりする活動のほうが,暮らしかたをより豊かにすると考えられます。
 
 そこでは事前に決められた中から選ぶよりも手間がかかりますが,時間の味わいかたに対する答えは人それぞれに違って良いのです。例えば,人生設計において目的地を明確に設定して歩むだけが普遍的な正しさと思い込む必要もありませんし,目標を決めずに成り行き任せでも構いません。これが十人十色に自分の時間をデザインする心地よさへとつながっていきます。
 
 このようなモノ・コトの考察は、表現と鑑賞の学習を主とする美術教育から私なりに導き出した作品や人との関係性を基にしています。ここには「自由な解釈を認め、新しく生み出される意味や価値を慈しむ態度を大切にする」効果があると確信しています。誰かが定めた型に近づけたり一致させたりする行為によって(自分の外にあるかもしれない)正しさを求めるのではなく、対外的な価値は価値として理解しつつも自由な解釈を込めた活動が推奨される教科だからです。
 
 他者の想定外の反応を許容して愉しむ活動を学習の中心に据えられる教科としては,図工・美術が特に秀でています。かたちや色,素材や作品などの対象を自分なりに意味づけ価値づけしたモノ語りで他者の反応をみる。美術作品との出会いを感動だけに留めずに,問題提起や価値の揺さぶりによって新たな意味づけや価値づけを獲得する。そして意味や価値が異なって対立しても,普遍的な正しさを競うのではなく共存の姿勢などを学習活動を通して体験できるのです。
 
 ものづくりという素材や構造を組み上げる活動だけが目的では見えない,あらゆる反応を意図した対象との関わりかたも目的にできる対話的でことづくり的な教科として,今後の教育課程でも図工や美術を重要視して頂きたいと考えます。

 


6 切り分けの難しさ

 私たちは国民主権の自由主義経済圏に暮らしています。ここには他者を尊重する価値観があり,日々の暮らしを営む個人や歴史的建造物などはかけがえのない存在として認められています。ですから,それらが毀損されるとひどく心が痛みます。また,文化的な営みは様々な反応を起こし,時代や世代や地域毎に特色という価値を生み出しますが,全体主義的にひとつの価値だけを押しつけられると価値観が違うグループは窮屈さを感じます。
 
 上記のような存在や価値の特徴をモノ・コトに当てはめると,存在とは区分される「枠組み」で,価値は時代や生活環境などの枠組みが起こす「反応」という分類方法も採れます。この存在と価値を混同すると話が噛み合わずに迷宮入りしがちなのですが,私も含めた多くの人は明確な区別をしていません。それは,どちらも概念としての枠組みをもっているためにお互いの差異を明確にするにはそれぞれの概念の成り立ちまで遡る必要があり,論理的な手間がかかるのです。この存在と価値の混同は,モノ・コトを理解する難しさと酷似しています。
 
 例えば,多様性を尊重する社会ではそこに暮らす人々の宗教が違っても社会的少数者でも等しく存在を認める態度と,そこにある価値意識を他者が受け入れるか否かの態度は本質的に異なるはずです。ですから「存在の許容と価値の許容」「存在の否定と価値の否定」は必ずしも同一ではないのです。例えば,お店があるのは否定しないけどそこにある商材の価値は認めたくないとか、コミュニティを否定はしないけど距離を置いたり参加を拒んだりするような態度です。
 
 ところが実際は,人に対しての迷惑や暴力的な行為がなくても社会的なルール(観点という枠組み:風紀や景観など)から,存在と価値を同一視する例は枚挙にいとまがないでしょう。当然ながら他者の存在を脅かす行為は価値として認められませんが,この存在と価値の融合はあちこちで渦巻いています。だからこそ様々な社会問題にモノ・コトの視点で切り込み,「構造」を明確に構築しつつ,曖昧さのある「反応」を推進できると面白そうです。人それぞれの価値観で時間を味わう暮らしかたが,このひと手間によって社会全体に広がる契機になるよう願っています。

 


7 おわりに

 最後にことづくり生活という,反応を推進する暮らしかたをいくつか挙げてみましょう。
 
 ・憧れ(普段味わえない料理や感動必至な旅先など)を実現させる暮らしかた
 ・便利さや効率の追究を控えて,ひらめきや丁寧さを活かす暮らしかた。
 ・曖昧さを許容して,敢えて明確な目標を定めない「ゆるぎたるぎ」な暮らしかた。
    ※ ゆるぎたるぎ:香川県の方言で,「緩やかで充足したさま(のんびりまったり)」の意  
 
 このように,人それぞれの意味づけや価値づけを基にした問いと答えを往還する心地よさを味わいながら、ひと手間をかけるささやかな暮らしかたを楽しみませんか。あなたの答えは常にあなたの中にあって、いつでもあなたの問いかけを待っていますよ。

 


本サイト文責者:
財団設立者・代表理事 多田俊二郎
岡山大学大学院教育学研究科修了(美術教育学)
元香川大学教育学部特命准教授
哲学的思考研究家・ことづくり生活研究会主催
 より良い暮らしかたを志向するために,美術教育学から出発して心理学や哲学,理工学などを参考にしつつ,共通点を結節させながら日々実践と研鑽に取り組んでおります。お問い合わせ,ご助言等は事務局までお寄せくだされば幸いです。
キーワード:ひと手間を味わう,ゆるぎたるぎ日和,ことづくり(反応づくり)