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解説【コトのこと】(2021_1)

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1 はじめに

 ことづくり生活研究会では,モノは「構造」でコトは「反応」と考えます。2020年版のことづくりの概要解説では大まかな説明でしたが,今回は少し丁寧にお話します。前回同様,読み終えた時になんとなく理解できたと感じてくだされば幸いです。どうぞご笑覧くださいませ。
 


2 世界を占めるモノやコト

 モノには,あらゆる物質や生き物なども含めてその個体の大きさに関係なく,見た目や性質の違いといった絶対性を伴った形相があります。モノは独自の構造をもつ【ひとつのかたち】だと考えると,物(物体)や者(人),人工物や自然物の区別も必要なく,それらを見極める能力なども不要で,素直にあるがままを受け止めるだけです。    この何らかのルールに基づいてつくられた形態(かたち)には,言語であれば日本語や英語など,学問であれば哲学・物理学などのように,構造をひとつにまとめる端的な単語が与えられる物質以外のモノもあります。この理屈でいくと,森羅万象のあらゆる存在の何かに誰かが「A」と命名した時点でそれはモノですから,なんとも人の世はモノだらけ,ですよね。 

 ところで,私という存在と生物的構造との対照的な問いの「私は人間ですか」は,はい・いいえで表せます。ですが「私とは何ですか」は,具体的な様子や回答者が抱く価値への問いですから,どうしても説明的にならざるを得ません。半ば強引に,「人です」とモノ同士を等式でつないでもモノの説明が不足していますから,「では,人とは何ですか」と産婆術的な問いが延々と続きます。これはお互いの価値観や解釈が噛み合っていない時に起きやすい議論ですが,実はこの曖昧で定式化されていない状況がコトの核心部分なのです。

 コトとは,あらゆるモノが【働きかた】を得た様子です。例えば私と著名シェフの料理や,蛇に睨まれたカエルのように,対象となるモノ同士は相対的につながっていて,私たちはその変化を感じ取り,モノに置き換えて理解しようとしています。物体以外でも,言語や感情など概念的・観念的な対象も含まれますので,私と死や水と環境などの関係でも反応が起きます。ですから,あらゆるモノ同士が関わり合って起こすコトは数え切れないほどあります。

 また,琵琶湖の環境問題で1匹のカエルがおしっこをしても無関係に見えるのは,そこにある調和的関係性とは別の要素が変化を促しているからですが,それでも微細なコトとしてひょっとしたら何かの関係があるかも知れません。これはバタフライ効果と呼ばれて,相対的な分析の難しさや緻密な探究に向かう意欲をかき立てますが,通常は取り扱いが可能なモノ(物質)からコト(状況)を把握し,その解明に努めてモノ化(定式化)します。そうしてモノ化を極めれば,例えばシリコンウェハーの製造過程で不純物除去する技術などが,私たちに科学の恩恵をもたらします。

 このように私たちの暮らしの中で,構造をもつ存在としてのモノと反応する様子としてのコトが交互に重なり合い,対象を読み解く私たちの想いが必要に応じて意味や価値を生み出しています。

 


3 コトのこと(反応の概要)

 モノは構造という【ひとつのかたちがあるあらゆる枠組みであり,コトとはモノが起こす反応で【働きかたがもたらすあらゆる様子です。私たちは,これらの捉えかたやまとめかたを工夫しながら意味づけや価値づけをします。

 例えば,猫が足下にすり寄ってくる行為は,好きな人には愛らしくても苦手な人には怖くてたまりません。心情的な反応は,同じ出来事に遭遇しても人それぞれです。この1シーンにある反応の要素を紐解いてみると,(1)猫が寄ってくる・足に触れる (2)心が動く(3)猫と私の関係性 (4)出来事のまとめ になると考えられます。では,これを基にして「コトのこと」を私なりに整理した内容を紹介しましょう。なお,この4つの項目は,下図のように互いに重なり合っています。

 (1)対象の事態(動きかた)  1単位時間の動作という特徴があります。この単位に規定値はなく,観測主体が1フェムト秒や1年などから自由に選べます。ここではゆっくりや素早く,合体や分離,チラ見など対象へのまなざし,輝きながら飛び散るなどの動作表現が複合する動きかたも含めたあらゆる対象の動作です。ここで対象が何と反応している動きなのかについては,未知のモノや仕組み,意図していない対象も含みますから把握が難しい場合もあるでしょう。また,対象が生き物とは限りませんので金属の膨張や分子の振動なども動作のひとつですし,不動の状態も含みます。

(2)対象の把握(捉えかた)
 具体性は主観に依存するという特徴があります。これは生物的な知覚をもつ対象だけが起こす解釈や感覚の領域と考えています。五感で捉えて心情に落とし込みますので,好きだけど嫌いのような複雑な情緒的解釈も大きく影響しますし,正確性を欠く非合理的な感覚も含みます。心情面から,動作の様子を空想したり論理的に理念を構築したりする方向性も生まれますので,例えば教育活動では学習のねらいや効果,手段としての姿勢や態度の捉えかた(想定)などから,実践行為として(1)へ移りますし,定式化が試みられて(3)に該当する規則性を見つけようとします。 

(3)対象の相対性(繋がりかた)
 対象同士が理由や時間でつながるという特徴があります。これは対象が関わり合って出来事を生み出す仕組みや過程ですから,三角形の内角の和が常に180度という数式化が可能な現象や,出会った食材を美味しい料理へ変身させる具体的な行程も該当しますし,調和や混乱という反応もあります。明確な条件で(1)が起こる再現性が担保されれば性能や品質向上に向けた機能面の解明も進むので高度に定式化(モノ化)できますし,公平さを担保する野球のルールなども含まれます。また遺伝情報のコピーミスのように,現状では確率でしか理解を図れない現象もあります。

(4)反応の総括(状況のまとめかた)
 反応全体の円滑な同意や合意を図るという特徴があります。これは(1)~(3)が混合した家族旅行やチーム優勝などの体験や思い出などを順序よく論理的に,自分や相手が理解しやすくまとめた判断や結果ですので,ここで想いの整理や方向性,意味や価値などが生まれます。また,日本語らしいコト表記の領域ですが,相手の質問に対して「そういうコトです」と内容全体を簡潔に示す際などにも用います。「そういうモノです」との違いは,前者は対象全体が「決まりゴト」など【働きかた】に,後者は「もうけモノ」など【ひとつのかたち】に置かれる点です。他にも,同意する「信じるコト」や否定する「なかったコト」などの意思表示もあります。

 経済界などでは人間中心的な解釈から,モノは所有できてコトは体験できるとしていて,これらのコトをまとめてサービスと呼んでいます。生産や製造とは違って百貨店やホテル,メディア関連など具体的に想定される顧客が喜ぶ情報や行為を提供しますので,商品などのモノを扱ったり就職や結婚などの仲介を行ったり,思い出づくりに貢献したりする立場の人たちが該当します。

 なお,自然現象は主観を排した(1)と(3)だけで表せて,どこまでも「なるようにしかならない」スタンスです。私たちは,自然の摂理に意味や価値を付与できても自己都合でデザインできませんし,そもそも自然を解明して正確な制御をしたがるのは人間ぐらいです。まぁ,世界はこのようなコトがひしめき合ってつくられていて,モノは過去の姿として存在するという考えも理論物理学にはあるようですが。

 


4 モノ化というコト

 私たちは,原理的にコトはモノ化して捉えているので,コトを掘り下げていくと理解が大変面倒になります。例えば「太陽は東から昇る」のはコトで「東から昇る太陽」はモノですが,広い意味ではどちらも概念が言語化されたモノですよね。コトはモノに置き換えるとはこういう意味です。そこで今回は,モノを【ひとつのかたち】,コトを【働きかた】という表現にしました。
 さて,水が沸騰するコトは熱エネルギーの移動過程に正確なモノ化(数式化)が施され,みんなで共有できるかたちがあります。一方で恐怖体験から背中がゾクッとしたコトは,その事実と感覚から自分なりに整理(モノ化)した体験談を話しても,共有できるとは限りません。定式化されたモノは合意形成しやすいのですが,主観による解釈や雰囲気という曖昧さが残ったコトをモノ化しても同様の経験がない人にとっては合意が難しいコトも,身の回りには数多くあります。

 苦労して一般化された様々な知識(モノ)は,社会全体で共有されて便利に用いられますが,使いかたを間違うと思考停止や同調圧力を誘発します。「こうあるべき(当為)」は絶対的な確信を抱いて行う価値の押しつけですし,「為す術なし(断念)」はモノ化された想定範囲に解決策を見いだせない状況ですし,「面倒くさい(怠惰)」や「思うがままに(享楽)」はモノ化された手順やルールを逸脱したい想いの現れです。これらがはびこると,本来便利なはずのモノによって不自由にさせられて,日々の暮らしが息苦しいと感じる人も増えてしまいます。

 そこで,知恵を絞って一般化したモノに対して,今度は可能性を探る方向に舵を切るコト化の考えかたが必要です。これは,ひとまず規則や法則を脇に置いて自由奔放に想いを拡張する行為です。身の回りを少々不便にしてひと手間を加えたり,旅行の移動に敢えて時間をかけて想定外を味わえる環境をつくったりすると,新たな気づきや発見に巡り会う可能性が高まります。コトの拡張によって硬直したモノをほぐしたり未知のモノを調査したりするからこそ,新たな考えかたや技術革新などで私たちの暮らしを豊かにしてくれる人が現れます。そうして見つけたコトは新たなモノ化を経て,私たちが利用可能になります。

 


5 予測できないコトを味わう

 ものづくりの目的は条件や要素が集約化した構造づくりで、ことづくりの目的はあらゆる対象が起こす反応づくりです。ものづくりは目的に向かう様々な手段で一つのかたちに収斂させますが,想定外や予測範囲の超過を許容しない世界です。それでも,創造的な活動にはきっかけとしての想定外は不可欠ですし,独特な色彩や均衡などの形態を定式化すれば個性にもなります。閃きを自分なりのかたちに落とし込むまでに想定外も含むコトが重要な役割を果たしますが,その後は素材や技術などの要素を巧みに組み合わせてモノ化を推進し,評価を高められるようにします。

 一方のことづくりは体験や思い出づくりとも呼ばれて,あれもこれもと経験を積み重ねる活動です。それらの蓄積は,単に経験値を高めるだけでなく将来的に何らかのかたちで役立つ可能性も秘めています。兄の習い事について行った妹がその魅力にはまって空手の日本代表になったり,神社巡りが高じて神主になったりするのはその一例です。曖昧さを残した活動は将来を拡張するという点において,その時点で強い決意がなくても自分の暮らしかたを変革させる可能性をもたらします。だからこそ予測不能性に身を任せる姿勢は,ことづくりの心髄となるのです。

 人体は多くの細胞が【ひとつのかたち】を形成しています。そこには多くの関係性から生み出される【働きかた】がありますが,偉大な自然は何の変哲もない1ピースとして,さらりとその精緻な仕組みを動かし続けています。同様に地球がしているコトになると,もはや私たち人間が完全に解明するのは困難でしょう。ひょっとしたら正確に予測し理解しようとしている時点で,世界を見つめる方向が間違っているのかも知れません。そして先に述べたバタフライ効果のように予測不可能性やカオス理論などへ導かれます。

 難解な学問はさておき,普段の暮らしの中であれこれ考えても答えが見えないけど,どこかの誰かの価値観に為すがまま飲み込まれるのも悔しいと感じる人もいるでしょう。もしそうであれば,予測不能だからと不安にさいなまれるより,その状況を楽しむ方が現実的な暮らしを豊かにしてくれます。モノ化されたコトでも手間を惜しまずプロセス(過程)を味わう姿勢があれば,その際に起きる偶発性を楽しむゆとりが出て,多感覚的な刺激によって満足感を高められます。これが,予測できないコト(エラーやミスまでも)を味わうことづくりの魅力だと考えます。

 


6 おわりに

 何気ないモノやコトが,実は私たちの身体や生活環境などのあらゆる世界をつくっています。瞬間の連続である私たちの暮らしは,この両者がミルフィーユのように重なり合っています。モノに関心が向きがちな人は,時々「反応する・反応させる」という視点で身の回りを見つめてみると,普段とは違った気づきが得られて面白いですよ。