発表【あいだ・ことづくり・私】(2022.8.19)
日本美術教育学会 瀬戸内大会二日目 共同討議パネリスト1(要約版)
私は,あらゆるコト,を「曖昧」にぼかすクセがあります。でも,自分なりの「答え」探しも大好きです。それは,だれかになにかを決めつけられたり,強制されたりするのが好きではないからです。
当財団の事業活動は「私はここにいる。それだけで充分に素晴らしい」が,全てのスタートでありゴールです。この主観に終始する前提を見失わずに,深く深く本質まで掘り下げようと考えたテーマが,この「あいだ」や「ことづくり」でした。これから話す内容と,皆様のご研究との「あいだ」に,何かしらの「こと」が起こせれば幸いです。しばらくおつきあいください。
「あいだ」―この壮大なグレーゾーンには,意味や価値などを新たに生み出したり,共通項を見つけたりできる,たくさんの可能性が溢れています。例えばこんな感じ(男女のマーク)で,ここには距離が縮まったり,離れたりする出来事などもいっぱい詰まっていることでしょう。そして,それを見ている私は,このあたりでしょうか。
私は美術が苦手だった時期がありコンプレックスを抱えていましたが,今までの人生を振り返ってみると,グレーゾーンを曖昧にして可能性を残してきたのが幸いしたのかなと感じます。
財団の事業について説明します。全体テーマは,ひと手間を慈しむ暮らしかた〜ゆるぎたるぎ日和〜 です。ゆるぎたるぎとは,香川の方言です。「ゆるやかに充足感を味わう様」といったところでしょうか。別の言い方をすれば,「グレーゾーン」をたゆたう状態です。肩肘張らずに等身大の自分と向き合い,のんびりまったり過ごす暮らしかたを提供しています。
この考えかたは,悩みを抱えたり社会から疎外感を抱いている人たちには特に響くようで,そのような方たちも一定数ご訪問されます。ここは心療内科でもなければ,にぎやかなイベント会場でもありませんし,誰もいない大自然の中でもありません。その曖昧さが良いのでしょうか。自分と社会との「あいだ」という,グレーゾーンに触れている曖昧な雰囲気がちょうど良いのかも知れません。
のんびりまったり出来るモノやコトに囲まれて,やってみたいことを自由にDIYする,そのつくりだす「ひと手間」に寄り添い,支援する場所が会員制施設の「ことラボ」です。宿泊施設では合宿も可能です。詳しくは同封のチラシ等をご覧ください。
さて,多くの人は自分と社会的なしがらみなどの,広大な「あいだ」で暮らしています。また,程度の差はあってもどんな人にも「正しさ」へのこだわりがあります。実際,教育現場にいたときの私は正解を求めすぎて,息が詰まる暮らしかたになっていました。そこから開放されて,自由に,自分なりの「答え」が愉しめる場を見つけたとき「あなたはあなたのままでいいんですよ」と言われた気がしましたが,これがグレーゾーンへの新たな入り口だったようです。
しがらみを苦痛と感じている人のココロを「正しさ」から開放して,グレーゾーンへといざなってくれる,そんな優しさを秘めた教科教育はあるのでしょうか? 私はそれを美術教育に見出したいと考えました。約一千坪の施設全体が,グレーゾーンの入り口です。目の前に広がる菜園では野菜や雑草,野鳥たちの共演が毎日景色を変えますから,その植え方や見え方には気を遣います。
また,施設のあちこちにさりげなく芸術作品を置いていますが,特別扱いはしません。あらゆる存在は対等で,ささやかな足らずは設けて,作り込み過ぎないよう心がけています。この空間で起きている「さりげない」変化に気づいた自分を慈しみ,意識を向けた対象の意味や価値と向き合う暮らしかたは,多くの表現や鑑賞の活動と重なると考えています。
次は「ことづくり」について述べます。ことづくりは,一般的に「出来事や思い出づくり」と言われますが,これらの写真は「ゆるぎたるぎ日和」と呼ぶ,思い出づくりイベントの一例です。どんな活動でも,人それぞれのニーズやスキルに影響を受けますし,バイタリティやクオリティも人それぞれです。ですから,そのプロセスや,できあがりに同じ「モノ」はひとつもありません。美術教育における表現活動と同じように,です。
これらの活動は,当然見た目にもこだわりがありますが,造形作品のようにかたちとして残らず,大抵はお腹の中に入っておわりです。それでもこどもや親たちが,一緒に談笑しながらプロセス自体を愉しんでくれる姿を見ていると,モノとはその都度の解であり,コトとは変数が組み合わさった方程式のような関係が見えます。
どうやら,コトは不確実性をもたらすダイナミックさで満ちていて,単純な規則から複雑なふるまいが現れるところは,まるでカオスの特徴そのものです。
また,財団設立の前後で盛んに言われていた「美術教育不要論」に対する,自分なりの「答え」も探していました。当時の学会などでは造形表現の良さを訴える具体的な事例が溢れていましたが,私は,ものづくりで起きる「コト」を出発点にしました。当時,美術教育からかたちや色を取り除いて何が残るんだと批判されたこともありました。たとえ,視覚や聴覚を失っても人間の本質は失われません。それと同じこと,を裏付けしたかったのです。
教育現場しか知らない私の,つたない美術教育の実践から始まった「こと」を巡る旅は,哲学や理工学などを経て,現在は,モノを「構造」,コトを「反応」と定義するところへたどり着きました。この解釈では,ものづくりとは構造をつくり,ことづくりとは反応をつくります。そして,どちらも,つくる,という「ひと手間」は共通します。この,オーダーメイドな「ひと手間」を慈しむ暮らしかたが,「ことづくり生活」です。
ここでは,参考文献として,この2冊(「時間は存在しない」「世界は「関係」でできている」共にカルロ・ロヴェッリ著 NHK出版)を挙げておきます。
次に,私が考える暮らしかたと美術教育の「あいだ」,そこにある共通点を3つ挙げてみます。
ひとつめは,自由に始める。そして自分なりに答えを見つけること。これは,自分の感覚や想いと,現実の「あいだ」にある「出来事」です。ふたつめは,過程を味わう。そこで自分なりに多様なしかけを活かすこと。これは,自分と活動の「あいだ」にある「仕組み」です。みっつめは,心地よく。違いよりも自分なりに「同じ」を意識すること。これは,自分と対象との「あいだ」にある,人それぞれの「心のありよう」です。
これらは,自由に表現や鑑賞をして作品や活動過程から感じた想いなどを話しあい,自分の振る舞いに活かそうとするコトにつながります。これからこの3つを詳しく述べますので,みなさまのご研究や実践内容に引き寄せてお聞きくださると幸いです。
ひとつめは,自由に始める。暮らしかたや美術教育に関わらず,自分なりの答えに出会うには,対象との「あいだ」で正解や当為などに縛られない,自由な環境があるとイメージが広がりやすくなります。そうして「発見や共通」などに出会えたら,しめたものです。この「答え」をつくる際には,対象を2項より3項にして「あいだ」を増やした方が可能性や偶発性が高まります。鑑賞の活動において,芸術作品と鑑賞者だけの関係にその作家やファシリテーターなどが加わるように,です。
そのためには,次の項目で述べる「あいだ」をじっくり眺める時間と方法論が必要です。そこで導かれた人それぞれの「答え」は,社会においては,発見は多様へ,共通は包括へ,可能性や偶発性は技術革新へ向かうエネルギーになるようです。
ふたつめは,過程を味わう。季節や気分で服を着こなし,映える料理に歓喜し,整えられた住まいで安らぐなどの何気ない日常。これらも必ず,自分となにかしらの対象との対話によって営まれています。きっと,自分と対象との「あいだ」に起きる「反応」が,私たちをさまざまな表現活動へといざなってくれるのでしょう。どんなにささやかな「コト」でも,気づけた自分が嬉しくなって,誰かに話したい,どこかで再現したい気持ちも高まります。これは,作品づくりで教師側がこどもたちの製作プロセスを見取る大切さにつながります。
これら広い意味での「表現活動」において,対象との「あいだ」をとりもち,私たちのモチベーションを高めるシステムをつくる人たちもいます。ここでは意識へのアプローチ例として,行動学的には不便な行為から心理的・経営的な利益をはかる不便益(「不便から生まれるデザイン 工学に活かす常識を越えた発想」川上浩司 化学同人)や,無意識へのアプローチ例として,人気アトラクションでは長時間並んでも飽きさせなかったり妙にやりたくなる雰囲気を街角の環境に盛り込んだりする,仕掛け学(「仕掛学〜人を動かすアイデアのつくり方〜」 松村真宏 東洋経済出版社)を参考文献として挙げておきます。
本図は,私が独自に考えた「へそ思考」と呼んでいるシステム論の一部です。これは,対象の性質を示す最小構造ですが,少々難解なので詳しい説明は省きます。このへそ思考は「グレーゾーンに道しるべを設けるしかけ」です。それでは少し例示をしましょう。〜文化的な活動のひとつとしてのアート〜 普遍的な価値のひとつとしてのビューティ〜 人それぞれの理解としての解釈〜 皆さんが気になるのはどのあたりの領域でしょうか。そして,この3つの「あいだ」にはどんな言葉があてはまりそうですか。
答えは,きっとみなさんがお考えになった数だけあるでしょう。なぜなら,へそ思考は普遍的な「正しさ」とは無縁です。話題やきっかけを提供し,見つめる方向を整理したり,関係性を紐解いたり,違いや共通の部分,全く新しい視点などの考えを深めたり,みんなで摺り合わたりするための,単なる道具です。
みっつめは,心地よく。この9枚の写真は野菜たちですが,違いの中にある共通項を探してみてください。 夏野菜? 種から育つ? どこかに必ず「同じ」があります。
私は,意味を「なりたち」,価値を「ものさし」と呼んでいますが,お互いの「ものさし」が異なると,何を測り合っても一致させるのは困難です。それでも,どんな「違い」にも最小公倍数的な「同じ」がたいてい隠れていて,違い同士が同居できる数値が見つかると,肯定的な合意形成,つまり共立を図りやすくなります。
芸術作品などを見て感動したり共感したりするのは,そこに「同じ」を見つけて起きる心の変化です。訪問者を見ていると,たとえ対人や社会との摺り合わせもなく自己完結する「表現のたのしみかた」でも,人生の主役としての程よい心地よさを得ています。「あいだ」から発見や共通を得て表現に至ったひと手間を,誰かに伝えたい共有したいという想いが高まると,自分と悩みごとの「あいだ」から,新たな自分なりの道を歩み始めるようです。
対象の「あいだ」で起きる「コト」,この,あらゆる反応を巧みに捉え,自分の得意分野や想いなどを実現プロセスに織り込めたとき,人それぞれが求める暮らしのスタイルに仕上がるのでしょう。これは,都会から田舎へ移住した若者のドキュメンタリーでも強く感じます。
誰にでも人生の主役となる権利があるのが,私たちの社会です。この「ひと手間」の実践には,美術教育にちりばめられた,主体的に,自由気ままに,色やかたちをつくりたくなるさまざまな方法論が,私たちを効果的に,可能性の宝庫である「あいだ」へといざなってくれると考えます。
曖昧さの満ちたグレーゾーンに可能性や偶発性が高まるひと手間をかけて,自分なりの想いを味わう暮らしかた。これが,「ことづくり生活」です。そして,これらはみなさまのご要望から,全ての活動が始まるのです。
本サイト文責者:
財団設立者・代表理事 多田俊二郎
岡山大学大学院教育学研究科修了(美術教育学)
元香川大学教育学部特命准教授
哲学的思考研究家・ことづくり生活研究会主宰
より良い暮らしかたを志向するために,美術教育学から出発して心理学や哲学,理工学などを参考にしつつ,共通点を結節させながら日々実践と研鑽に取り組んでおります。お問い合わせ,ご助言等は事務局までお寄せくだされば幸いです。
キーワード:ひと手間を味わう,ゆるぎたるぎ日和,ことづくり(反応づくり)