へそ思考の基本構造

へそ思考の「前提」

主観を大切にした人それぞれの答えづくり

私たちが暮らす「世界」を総括する概念とその組みあわせがへそ思考の基本構造です。
 

単純すぎる基本構造

仕組み・出来事・こころの3領域

・【仕組み】世界は厳格で有象無象な法則で成立します。
・【出来事】その仕組みに則った「あらわれ」が発現します。
・【こころ】それらを私たちは五感を活かしてとらえます。

へそ思考とは,この単純な構造が繰り返されます。当たり前すぎて拍子抜けしたり,世の中を単純にしすぎだと猛烈に反論したりする方も結構いらっしゃいます。ただし領域に代入できる言葉は数多に存在しますし,重複しなければ領域も選びませんので,組み合わせの数は甚大です。

 ご覧の通り,円が3つ重なった構造です。多くの理論や主張を分析していて,この3領域が共通要素として残りました。頭脳明晰な人が非常に難解な話をしていてもその本質は3つで,「これは理屈だね」とか「これは思いの丈だね」とシンプルに切り分けられます。話題における知識レベルが低くても,このコツをつかむと上手に話を合わせられます。これはきっと,接客業で働く聞き上手な人であれば経験的に身につけているのではないでしょうか。

 深く理解するには少々難解なのですが,この簡潔な基本構造は概念を捉えるあらゆる場面で役立ちます。例えば,研修やワークショップでグループ内の意見を集約するときに,ボードに貼り付けられた大量の付箋をこの項目に沿ったグルーピングで共通項を探せば,参加者がどこを意識しているかをまとめやすくなります。他にも,レポート作成の際に3つをバランス良く組みあわせると,読み応えのある文章がつくれます。また,思索が支離滅裂になった際には最初の問いを図の中心に据え直せば良いという,すごろくで言えばスタートラインまで戻って再出発する際にも役立ちますので,安心して難易度の高い思索の冒険にも出られます。

※ 3という構造が世界に調和や安定をもたらすという思想自体は,宗教や史実の他にも科学的な理論にも数多くあります。そこに理由のこじつけも可能ですが,これは箇条書きの項目をまとめる際に円を重ね書きして閃いた構造でした。
 


本質をかたちづくる基本領域

仕組み

活用したいルールや法則,建物・電気製品・文法などの定型化された決まりが入ります。

ここでは解明・未解明は問いませんし,必ずしも確立された「正解」である必要はありません。宗教上に紡ぎ出された物語やSF小説など,一定のルールを作って定めた形式であれば,流派がいっぱいある習い事のお作法でも該当します。
 真実を明らかにしようと懸命に研鑽を積み,そうして検証を進めていくと実は「ほんとう」でない場合もあります。また,普段の暮らしでは疑似科学を「これは間違い!」と断罪しなくても「それもアリかな」ぐらいがちょうど良い場面も多いと思うのです。そのような想像の産物も含めた,根拠となる仕組みの領域がここになります。
 


出来事

身の回りに起きる事実,何かに関わった時の状態や経験,伝聞や史実などが入ります。

観察の可能・不可能。これは「あらわれ」に対する知覚の有無です。例えばマッチを擦ると火がつくという出来事が起きますが,それは摩擦熱と硫黄のあいだにある厳格なルールに従いますので,仕組みとは密接に繋がっています。
 他にも史実や伝記にも出来事は記載されていますし,幼い子どもが手をつないだ相手を異性を自覚してポッとほおを赤らめるのも出来事です。仮に全人類の行動が遺伝子に組み込まれていても,純然たる事態は起こって出来事が発生します。そのような事実も含む出来事の領域がここになります。
 


こころ

五感から得られる様々な情報,喜怒哀楽などの感情,取組への意欲や態度などが入ります。

太陽や月などを神聖視したエジプトの人たちは,豊かな創造力を基にして壮大な物語をつくりました。現代人はその物語と科学知識を照らし合わせながら悠久の時を超える楽しみかたもできます。
 出来事や仕組みの正誤はさておき,想像の余地からは夢や希望などの可能性が広がります。また,私たちは喜怒哀楽と言った情緒の領域や五感の情報にも左右されますし,第六感という閃きもあります。不安という揺らぎも確固たる信念も湧きますし,満足感や幸福感なども得られます。そのような幅の広い解釈であるこころの領域がここになります。
 


持続可能性を探るために

対象概念の場所は常に流動する

「ものさし」は,領域を横断する

自分が問いたい内容の本質と向き合う際,まず3領域の内容を吟味します。例えば「問い」とは何か,と言う問いを発する時,出来事,仕組み,こころの領域のどれかに曖昧さのある疑問点があるから問いを発しています。次はなぜそこれが疑問に感じたかを問うとき,その疑問点を中央にある本質の部分へ代入し,どんどんそれを繰り返すことになります。出てきた概念の言葉はどこかに固定されることはありません。問題解決を図りたい時は,その構造を簡単に図式化してみましょう。
 


「も」の姿勢

そうかも・そうでないかも

人の数だけ価値観があっても,どこかには必ず共通項があります。それが共感や合意,納得などの行動につながります。この共通項は上手に使うといろんな解釈の仕方にもつながります。例えば占いなどの文言にも表すことが可能です。普遍的で確信を得られる正解はなくても,人それぞれが抱く正解はあります。ただし本質的な領域とは明確さに満ちているわけではないので,人それぞれが都合良く内容を構成できるという特徴も備えています。だからこそ,可能性を残す姿勢が大切なのです。
 


広くて深い世界の「あいだ」

どこにどんな「あいだ」があるか

私たちが暮らす世界にあるコトの量や組みあわせかたは甚大ですから並列的・重層的です。それ故に本質を見失い,いわゆる手段が目的化するような事態に陥ったり,思考が堂々巡りを始めたりします。そうした安心と不安の「あいだ」となる特徴もへそ思考で探れます。また,対立が起きた際にどちらかに優劣をつけようと考えるよりも,その「あいだ」の共通軸を考えることが問題解決の糸口になる場合があります。違いを明らかにするより共有できる視点を見つけられれば,より世界を深く理解し,人それぞれの価値を大切にした暮らしかたができるのではないでしょうか。
 


「ほんとう」は探して味わう

遠慮せずに保留を愉しむ

人類がいなくても地球は回り続けていました。きっと私たちの存在の有無に関わらずに地球は厳格なルールに基づいて存在し,いつかは崩壊の時期を迎えるのでしょう。きっと人類は,叡智を結集しても厳格な化学的仕組みを支配できません。私たちは知り得た知識を使っているに過ぎず,仕組みの根幹をつくる立場にはないのです。理論や価値の「ほんとう」よりも,そこにある欲求の本質を理解し,丁寧に手間をかけた暮らしかたを愉しみましょう。学者ではない私たちは「普遍的で正確無比な答え」を求めるのではなく「見つけた答えを更に深める」姿勢ではないでしょうか。
 


項目別の内容より本質的な内容を

幾つの項目に分かれるかは気にしないで

また,いろんな項目を示して「〜における12の項目」のような言い方を始めると,そもそもその具体的な数値(ここでは12です)に分けられる根拠はどこにもないのに,いつの間にかその項目の内容に引き込まれていきます。(そもそも数値の効果としては捉えやすさを示したり,108という煩悩の数ともなると今度は心情的に圧倒して人を虜にしたりします。)書かれたその内容は具体的なのでなるほどと思えるのですが,そこは占いと同様に肝心なところが人それぞれの解釈次第という曖昧さをもつので,本思考法は文章の内容解析にも役立ちます。
 


本質は概念の世界だけに存在する

本質を探る意味は,より良い暮らしのため

へそ思考で自然界を表すと,仕組みと出来事と,その重なりの機能しかありません。そこに本質的な意味や価値を探って示唆を感じ取るのも人のこころですので,それを敢えて「ある」とするなら確証のない超越的な存在が必要です。人は自然の中にある「かたちのあらわれ」を見て感じたり,使いこなしたりしようとしています。少しでも人が手を加えると人工的だとも言えますが,それは人が出来事(条件)を追加しているだけですから自然界の構造に別の動き(膨大な不確定要素の一つ)が増えただけです。へそ思考の1単位がひとつの「こと」の構造なのです。